2代目 A32型(1994年-2000年)
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「日産・セフィーロ」の記事における「2代目 A32型(1994年-2000年)」の解説
1994年8月24日、発表。マキシマとの統合により従来型のFRから一転、FFとなった。生産が日産追浜工場に移管された。エンジンは国内車種第一号となった新開発のV6横置きのVQエンジンが搭載され2,000ccのVQ20DE、2,500ccのVQ25DE(日本のみ)、3,000ccのVQ30DEが設定された。 グレード構成はディッシュタイプのアルミホイールや足踏み式パーキングブレーキ(MT除く)、クロームグリルなどを装備したラグジュアリー志向の「エクシモ(含イニシア)」と、スポーク形状のアルミホイールやリヤトランクスポイラー、エアロパーツ、レバー式サイドブレーキ、カラードグリルなどを纏ったスポーティー志向の「Sツーリング」の2シリーズ構成とした。運転席SRSエアバッグを全車に、ABSを上級グレードに標準装備(それ以外ではオプション)とし、安全性を訴求するとともに各デバイスの低価格化への礎を築くきっかけとなった。J30型マキシマ譲りの広い室内、シンプルかつクリーンなエクステリア、それにしなやかな乗り心地を披露するリヤマルチリンクビームサスペンション(B14型サニーと基本構造は同じ)を採用したことも功を奏し、A32型は販売的にも日産のアッパーミドルクラスセダンとしては大成功を収めた。また、ブラウン内装や助手席側エアバッグなどを装備した「デュアルセレクション」ならびに「デュアルセレクションII」もモデル途中に発売されて人気に拍車をかけた。先代とはターゲットの年齢層が若干上昇しており、30代から40代の夫婦で、CMもその年齢層を意識していた。 1996年1月、特別仕様車「デュアルセレクション」を設定。25エクシモ / 20エクシモをベースに運転席&助手席エアバッグやABS、本革巻きステアリングなどを装備する。 1996年6月10日、オーテックジャパン扱いの「エアロセレクション」を発売。25Sツーリング / 20Sツーリングをベースに専用前後エアロバンパー、サイドパネル、リヤスポイラー、専用アルミホイール(R33型スカイラインと同デザインの16インチ)などを装備。 1997年1月13日、マイナーチェンジ(オーテックジャパン扱いの「エアロセレクション」のみ2月7日発売)。全車にABSとフロント両席エアバッグが標準装備となった。ファインビジョンメーター(上級グレード)やマルチリフレクター式ヘッドライト(Sツーリング系はブラックインナー、エクシモ系はクロームインナー)ならびにマルチリフレクター式リヤコンビネーションレンズを採用し、ドアトリムとパワーウインドーの形状を変更、センタークラスターの木目調パネルの面積を拡大するなど高級感の向上が図られた(反面、リヤの番号灯が2個→1個となり、灰皿のクローム加飾が廃止されるなどコストダウンも敢行された)。上級グレードにSRSサイドエアバッグを標準装備するなど安全面の向上も図られた。同時に、Sツーリングに装着されるアルミホイールが15インチから16インチにサイズアップされた。新グレード「25SツーリングJ」と「20エクシモG」が追加。前年6月発表のエアロセレクションはマイナーチェンジに対応して継続、2.5L車のベースグレードが25SツーリングJに変更された。モデル途中、ブラウン内装やインフィニティ・I30と同形状のグリルなどを採用した「ブラウンセレクション」も発売され話題を呼んだ。後期CM出演者は、中山美穂・桃井かおり・西村知美。 1997年6月、国内市場専用のセフィーロワゴン(WA32型)登場。歴代で唯一のワゴンモデルである。 詳細は「日産・セフィーロワゴン」を参照 1998年 韓国のルノーサムスン(当時の三星自動車)が「SM5」という名称でライセンス生産を開始。 詳細は「ルノーサムスン・SM5」を参照 1998年1月、小改良。セダンの25SツーリングJ、イニシアが廃止される。 1998年5月19日、セフィーロ誕生10周年記念車「20エクシモ 10th ANNIVERSARY」を発売。20エクシモをベースに、10周年記念オリジナルキー、アルミホイールを特別装備。 1998年11月、セダンの生産終了。在庫対応分のみの販売となる。 1998年12月、セダンはA33型にフルモデルチェンジし、販売終了。(ワゴンはWA32型が継続生産された)販売終了前月までの新車登録台数の累計は6万6120台。 2000年8月、ステージア・プリメーラワゴン・アベニールに統合される形でワゴンを販売終了(セフィーロワゴンはセドリックワゴン/グロリアワゴンの受け皿でもあった)。 2代目以降はFFになったため、リヤサスペンションの特性上、4WDの製作が難しかったため後継車ティアナが出るまでFFのみであった。 A32型は当時の日産の世界戦略車種として位置づけられ、北米へは「マキシマ」や「インフィニティ・I30」、ヨーロッパやロシアへは1995年より「マキシマQX」として投入されるなど、世界各国で広く発売されていた。また、台湾の裕隆汽車公司でもA32型セフィーロの現地生産を行っていた。 尚、海外仕様のAT車で足踏み式パーキングブレーキを採用したのはSM5のV6モデルのみで、それ以外は国内仕様のSツーリングと同じサイドレバー式を採用した。 台湾のセフィーロは日本におけるセドリックと同等に位置づけられる高級車(A32型セフィーロは台湾で継続生産されていたY30型セドリックの後継車種)であり、最上級グレードの名称は当時のセドリックと同じく「ブロアムVIP」であった。外観については前期は日本仕様とほぼ同じだが、後期については大型バンパーや専用リヤガーニッシュ、大型フロントグリルを用いる改良を受けている。 セフィーロワゴン インフィニティI30 ルノーサムスンSM5 マキシマQX 台湾仕様 リヤ(前期型) 台湾仕様 フロント(後期型) 台湾仕様 リヤ(後期型)
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2代目 A32型(1994年 - 2000年)
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「日産・セフィーロ」の記事における「2代目 A32型(1994年 - 2000年)」の解説
1994年8月24日、発表。マキシマとの統合により従来型のFRから一転、FFとなった。生産が日産追浜工場に移管された。エンジンは国内車種第一号となった新開発のV6横置きのVQエンジンが搭載され2,000ccのVQ20DE、2,500ccのVQ25DE(日本のみ)、3,000ccのVQ30DEが設定された。 グレード構成はディッシュタイプのアルミホイールや足踏み式パーキングブレーキ(MT除く)、クロームグリルなどを装備したラグジュアリー志向の「エクシモ(含イニシア)」と、スポーク形状のアルミホイールやリヤトランクスポイラー、エアロパーツ、レバー式サイドブレーキ、カラードグリルなどを纏ったスポーティー志向の「Sツーリング」の2シリーズ構成とした。運転席SRSエアバッグを全車に、ABSを上級グレードに標準装備(それ以外ではオプション)とし、安全性を訴求するとともに各デバイスの低価格化への礎を築くきっかけとなった。J30型マキシマ譲りの広い室内、シンプルかつクリーンなエクステリア、それにしなやかな乗り心地を披露するリヤマルチリンクビームサスペンション(B14型サニーと基本構造は同じ)を採用したことも功を奏し、A32型は販売的にも日産のアッパーミドルクラスセダンとしては大成功を収めた。また、ブラウン内装や助手席側エアバッグなどを装備した「デュアルセレクション」ならびに「デュアルセレクションII」もモデル途中に発売されて人気に拍車をかけた。先代とはターゲットの年齢層が若干上昇しており、30代から40代の夫婦で、CMもその年齢層を意識していた。 1996年1月、特別仕様車「デュアルセレクション」を設定。25エクシモ / 20エクシモをベースに運転席&助手席エアバッグやABS、本革巻きステアリングなどを装備する。 1996年6月10日、オーテックジャパン扱いの「エアロセレクション」を発売。25Sツーリング / 20Sツーリングをベースに専用前後エアロバンパー、サイドパネル、リヤスポイラー、専用アルミホイール(R33型スカイラインと同デザインの16インチ)などを装備。 1997年1月13日、マイナーチェンジ(オーテックジャパン扱いの「エアロセレクション」のみ2月7日発売)。全車にABSとフロント両席エアバッグが標準装備となった。ファインビジョンメーター(上級グレード)やマルチリフレクター式ヘッドライト(Sツーリング系はブラックインナー、エクシモ系はクロームインナー)ならびにマルチリフレクター式リヤコンビネーションレンズを採用し、ドアトリムとパワーウインドーの形状を変更、センタークラスターの木目調パネルの面積を拡大するなど高級感の向上が図られた(反面、リヤの番号灯が2個→1個となり、灰皿のクローム加飾が廃止されるなどコストダウンも敢行された)。上級グレードにSRSサイドエアバッグを標準装備するなど安全面の向上も図られた。同時に、Sツーリングに装着されるアルミホイールが15インチから16インチにサイズアップされた。新グレード「25SツーリングJ」と「20エクシモG」が追加。前年6月発表のエアロセレクションはマイナーチェンジに対応して継続、2.5L車のベースグレードが25SツーリングJに変更された。モデル途中、ブラウン内装やインフィニティ・I30と同形状のグリルなどを採用した「ブラウンセレクション」も発売され話題を呼んだ。後期CM出演者は、中山美穂・桃井かおり・西村知美。 1997年6月、国内市場専用のセフィーロワゴン(WA32型)登場。歴代で唯一のワゴンモデルである。 詳細は「日産・セフィーロワゴン」を参照 1998年 韓国のルノーサムスン(当時の三星自動車)が「SM5」という名称でライセンス生産を開始。 詳細は「ルノーサムスン・SM5」を参照 1998年1月、小改良。セダンの25SツーリングJ、イニシアが廃止される。 1998年5月19日、セフィーロ誕生10周年記念車「20エクシモ 10th ANNIVERSARY」を発売。20エクシモをベースに、10周年記念オリジナルキー、アルミホイールを特別装備。 1998年11月、セダンの生産終了。在庫対応分のみの販売となる。 1998年12月、セダンはA33型にフルモデルチェンジし、販売終了。(ワゴンはWA32型が継続生産された)販売終了前月までの新車登録台数の累計は6万6120台。 2000年8月、ステージア・プリメーラワゴン・アベニールに統合される形でワゴンを販売終了(セフィーロワゴンはセドリックワゴン/グロリアワゴンの受け皿でもあった)。 2代目以降はFFになったため、リヤサスペンションの特性上、4WDの製作が難しかったため後継車ティアナが出るまでFFのみであった。 A32型は当時の日産の世界戦略車種として位置づけられ、北米へは「マキシマ」や「インフィニティ・I30」、ヨーロッパやロシアへは1995年より「マキシマQX」として投入されるなど、世界各国で広く発売されていた。また、台湾の裕隆汽車公司でもA32型セフィーロの現地生産を行っていた。 尚、海外仕様のAT車で足踏み式パーキングブレーキを採用したのはSM5のV6モデルのみで、それ以外は国内仕様のSツーリングと同じサイドレバー式を採用した。 台湾のセフィーロは日本におけるセドリックと同等に位置づけられる高級車(A32型セフィーロは台湾で継続生産されていたY30型セドリックの後継車種)であり、最上級グレードの名称は当時のセドリックと同じく「ブロアムVIP」であった。外観については前期は日本仕様とほぼ同じだが、後期については大型バンパーや専用リヤガーニッシュ、大型フロントグリルを用いる改良を受けている。 セフィーロワゴン インフィニティI30 ルノーサムスンSM5 マキシマQX 台湾仕様 リヤ(前期型) 台湾仕様 フロント(後期型) 台湾仕様 リヤ(後期型)
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