2代目 410型系(1963年 - 1967年)
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「日産・ブルーバード」の記事における「2代目 410型系(1963年 - 1967年)」の解説
後にブルーバードのイメージを牽引することになるSSS(スーパースポーツセダン)が設定された初めてのモデルでもある。日産初のフル・モノコック構造の車体を採用、当初のボディタイプは、4ドアのセダンとエステートワゴンのみ。先代に引き続き北米輸出が図られたほか、新たに欧州へ輸出されている。スタイリングはピニンファリーナによるものであったが、欧州調の尻下がりラインが不評で、販売台数で初めてコロナにリードを許す。エンジンは当初先代からのキャリーオーバーであるC型1.0L 45馬力とE型1.2L 55馬力であったが、電源は310系までの直流発電機(ダイナモ)から、交流発電機(オルタネーター)に変更し、発電性能を向上させている。トランスミッションは310型系以来のフルシンクロの3速MTで、1.2Lには「サキソマット」のオートクラッチの設定もあった。グレード構成は、1.0LはSTD、1.2LはSTDとDX、ファンシーDX、エステートワゴン。 1963年9月 - 発売。 1964年3月 - ブルーバード初のスポーツモデルとなる「1200SS(スポーツセダン)」を追加。E型1.2LにSUツインキャブ65馬力のエンジン搭載。 1964年9月 - マイナーチェンジでフロントグリルの意匠を変更。1,000ccモデルが廃止され、2ドアセダンが追加。 1965年1月 - リクライニングシート車設定。 1965年2月 - 「2ドア1200SS」追加。 1965年5月 - マイナーチェンジで411型となった。また、1,200ccモデルは1,300ccJ型62馬力に変更となり、電装系をマイナスアースに変更。「1300SS」はJ型72馬力に向上し、同時に「1600SSS」を追加。SUツインキャブ付き1.6L R型90馬力のエンジン、ポルシェシンクロの4段ミッションを装備。 1966年 - メキシコ日産のクエルナバカ工場にて生産を開始。 1966年4月 - マイナーチェンジで、評判の良くなかった尻下がりのボディ形状を改める大幅な変更を行った。この変更でテールランプが独特の形状であった通称「鍵テール」から平凡な形状に変更された。1300バンの追加。「1300SS」と「1600SSS」は専用フロントグリルを採用。「1600SSS」に前輪ディスクブレーキを装備。 1966年6月 - ボルグワーナー製の3速オートマチック付車設定。 1966年9月 ‐内装の意匠を中心とした仕様変更。主な変更点は、デラックス系のシート生地がチェック柄となり、ビニールトリムはメタリック調。ステアリングパッドに「BLUEBIRD」の文字が入る。アクセルペダルの形状変更(スプーンタイプからオルガンタイプへ)。「1300SS」に前輪ディスクブレーキを装備。 モータースポーツ 1965年3月 - 「第4回ナショナルストックカーレース」(於: 川口オートレース場ダートコース)スポーツマンクラスにて「1200SS」が優勝。ドライバーは長谷見昌弘。 サファリラリー 1964年 - 4台で参戦したが、リタイア。 1965年 - 3台で参戦したが、リタイア。 1966年4月 - 「第14回東アフリカサファリラリー」に4台の「1300SS」(ダットサンP411-TK)(1,299cc)で参戦。グリンリー/ダンク組が5位で完走し、クラス優勝。 モンテカルロラリー 1965年 - 1台参戦、リタイア。 1966年 - 1台参戦、総合59位。 1967年 - 3台参戦、総合58位、2台リタイア。 2代目の生産台数は約52万台。 セダン 1300ファンシーデラックス(中期型) セダン(後期型) Datsun Bluebird P410
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