S110型
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1980年(昭和55年)11月、マカオグランプリ・スーパーサルーンクラスおよびギア100に参戦。スーパーサルーンクラスでは優勝を飾り、ギア100では5位を記録する。ともにドライバーは星野一義。 ハッチバック(KS110型)をベースに車体の一部をパイプフレームとするノバ・エンジニアリング製のシャシーに大型のフロントスポイラー、およびリアウイングを備えるムーン・クラフト製のカウルをまとうスーパーシルエットフォーミュラ・シルビアターボが好戦績を残した。 メインスポンサーは一貫して日本ラヂヱーター(カルソニックカンセイ)。スーパーシルエットクラスレースには、同じ形状のカウルで1982年(昭和57年)、1983年(昭和58年)と連続参戦した。 1983年(昭和58年)後半には、同年S110型からS12型にフルモデルチェンジした関係で、外装パネルをS12型ハッチバックへ意匠変更した。但し、エンジン及びシャーシ類は、大きな変更を受けていない。 シルエットフォーミュラのエンジンは1981年(昭和56年)度は直列4気筒DOHCのLZ20B型ターボ、1982年(昭和57年)度はサファリラリー等で活躍したPA10型「バイオレット」に搭載されていた直列4気筒DOHCのLZ20B型にエアリサーチ製T05Bターボチャージャー、およびルーカス製メカニカルインジェクションシステムを組合わせたLZ20B/T(2,082cc 570PS/7,600rpm、55kgf·m/6,400rpm)型だった。 日産側の意向により、同様のレーシングカーが存在する。兄弟車種であるS110型ガゼール(ハッチバック)の他にスカイライン(KDR30型)及びブルーバード(KY910型)でも製作され、それぞれ長谷見昌弘と柳田春人がドライブし、ターボ三羽烏として知られた。 主な戦歴 1981年(昭和56年)3月 富士GC 第1戦 富士300キロスピードレース大会 優勝 1982年(昭和57年)3月 富士300kmスピードレース GCクラス 優勝 1982年5月 富士グラン250kmレース GCクラス 2位 1983年(昭和58年)5月 富士グラン250kmレース 優勝 240RS 1983年(昭和58年)、日本国外ラリー競技向けにS110型ベースの「240RS(BS110)」というホモロゲーションモデルが登場。当時グループBで争われていたWRCに参戦した。ボディタイプはハードトップ が選ばれた。生産台数は200数台といわれている。1983年(昭和58年)から1986年(昭和61年)まで参戦したWRCでの最高成績は2位。 240RSのホモロゲーションマシン及びカスタマー・スペック車に使われたのは2,400ccのFJ24型(240PS)である。さらに、240RSのワークスカーにはFJ24改(275PS)を搭載するエボリューションモデルが存在した。FJ24型は国内で販売されていたFJ20E型とは設計・構造が大きく異なるため、共通パーツがほとんどなく競技専用エンジンだった。 2006年(平成18年)のNISMOフェスティバルでは、経年経過によって劣化されたワークスマシンを日産自動車の有志の手で稼働出来るよう修復することに成功し、デモランを行った。2007年(平成19年)現在、この車両は日産の座間事業所内にある座間記念車庫に動態保存という形で厳重に保管されている。また、ローカル競技ではあるが、240RSは日本のあるエンスージアストの手により近年のタルガ・タスマニア・ラリーに参戦し、好成績を収めている。 240RS以前には、第30回サファリラリーでLZ20B型(215ps)を搭載したグループ4仕様車が総合3位を獲得した。
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