1959年-1972年: デトロイトとは? わかりやすく解説

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1959年-1972年: デトロイト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 04:40 UTC 版)

モータウン」の記事における「1959年-1972年: デトロイト」の解説

初期タムラ/モータウン所属アーティストにはメイブル・ジョン、エディ・ホランド、メアリー・ウェルズなどがいた。ゴーディ自らが発掘したスモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズが1960年に『Shop Around』で『ビルボード』誌R&Bチャート第1位、全米チャート第2位獲得した。これはタムラにとって最初ミリオン・セラーとなった1960年4月14日モータウンとタムラ・レコードは合併してモータウン・レコード・コーポレーションとなった1年後マーヴェレッツが『プリーズ・ミスター・ポストマン』でタムラ初のポップ・チャート第1位を獲得した1960年代中期までにロビンソンA&Rチーフウィリアム"ミッキー"スティーヴンソン、ブライアン・ホランド、ラモント・ドジャー、ノーマン・ホィットフィールドなどの作曲家プロデューサー尽力により大型レーベルへと成長していった。 1961年から1971年モータウンの曲がトップ・テンに110曲がランクインした。この時期モータウンにはダイアナ・ロス&スプリームスフォー・トップスジャクソン5などが所属しタムラではスティーヴィー・ワンダーマーヴィン・ゲイマーヴェレッツミラクルズヒット曲重ねていた。最初モータウンタムラ2つレーベルのみだったが、さらにいくつかのレーベル所有するようになった自身の名を冠した第3レーベルゴーディ」(当初は「ミラクル」と呼ばれていた)はテンプテーションズ、コントゥアーズ、マーサ&ザ・ヴァンデラスなどが所属していた。第4のレーベルV.I.P.」はヴェルヴェレッツ、スピナーズ、モニターズ、クリス・クラークなどがレコードリリースしていた。 第5のレーベルソウル」はジュニア・ウォーカー&ザ・オール・スターズ、ジミー・ラフィン、ショーティ・ロング、オリジナルズグラディス・ナイト&ザ・ピップス(モータウン以前ヴィージェイ・レコードでザ・ピップスとしてすでに成功していた)などが所属していた。他に「ワークショップ・ジャズ」(ジャズ)、「メル・オー・ディ」(R&Bからカントリー)、バンドレア・アース所属するレア・アース」(ロック)など様々なジャンルレーベル所有するようになったモータウン音楽は「The Sound of Young America」(新し時代アメリカの音楽)のスローガン元に黒人白人関わらず広い受け手人気となったスモーキー・ロビンソンモータウンによる文化的影響について以下のように語った: 1960年代には音楽活動だけでなく歴史変えていることにまだ気付いていなかった。しかし曲が世界中知れ渡るようになって気が付いた私たちけたは、音楽において人種問題などの壁を取り除くことに気付いた。私はこの時代生きて気付いたモータウン初期南部行っていたら観客差別されただろう。その後モータウン音楽広がり観客差別されことなく子供たち手を取り合って踊っていた。 1967年ベリー・ゴーディこれまでの住居を姉アナとのちの夫マーヴィン・ゲイ譲りデトロイトのボストン・エディソン歴史地区邸宅構え「モータウン・マンション」と呼ばれるようになったちなみに以前住居ゲイアルバムホワッツ・ゴーイン・オン』のカバーおさめられている。1968年ゴーディウッドウォード通り州間高速道路75号線交差点にあったドノヴァン・ビルを購入しモータウンデトロイト事務所をここに移転した2006年1月、ドノヴァン・ビルは第40回スーパーボウル駐車場確保のため取り壊された)。同年ゴーディはゴールデン・ワールド・レコードを買収し、このスタジオを「スタジオB」としてヒッツヴィルのスタジオを「スタジオA」とした。 イギリスではモータウンレコード様々なレーベルリリースされていた。第1のレーベルは「ロンドン」で、ミラクルズの『Shop Around』、『Who's Lovin' You』、『Ain't It Baby』のみがリリースされた。次のレーベルは「フォンタナ」で、マーヴェレッツの『プリーズ・ミスター・ポストマン』を含む4曲のみがリリースされた。その後レーベルは「オリオール・アメリカン」でリトル・スティヴィの『Fingertips』など多くの曲がリリースされた。1963年モータウンEMIの「ステートサイド」と契約しスプリームスの『愛はどこへ行ったの』、メアリー・ウェルズの『My Guy』がモータウンにとって、イギリスでの初のトップ20ヒットとなった最終的にEMIは「タムラ・モータウン」を設立し1965年3月リリースされスプリームスの『ストップ・イン・ザ・ネイム・オブ・ラヴ』がタムラ・モータウン初のレコードとなったファミリー企業インディペンデント・レーベルを、10年大企業にしたという意味で、ゴーディアメリカン・ドリーム体現者である。黒人としてそれをやり遂げたことは当時として画期的だった。その企業活動原点は、社長が"The Sound of Young America"のスローガン元に綿密に描いた戦略に基づく、広い受け手狙った音楽作りである。3人組作詞作曲家チームホーランド=ドジャー=ホーランド(H-D-H)など専属ソングライターたちによるポップかつ時代の空気反映した楽曲ベーシストキャロル・ケイジェームス・ジェマーソンなどジャズ的なセンス備えたスタジオ・ミュージシャンユニット、ファンク・ブラザース(英語版)の演奏ビート強調するタンバリンの音、実力スター性を備えたシンガーたちの歌唱およびゴスペル起源であるコールアンドレスポンス掛け合いハーモニーからなる音楽は、モータウン・サウンド呼ばれ1960 - 1970年代において、人種問わず大い支持された。シンガーミュージシャンたちは、ゴーディ方針従い洗練された衣装をまとい上品に振る舞いながら、『エド・サリヴァン・ショー』など、多くテレビ音楽番組盛んに出演しそれまでR&B泥臭いイメージ一掃したモータウン・サウンドは、60年代にはビートルズ劣らない人気得てポピュラー音楽中心的存在となったモータウンヒット曲は、時代経ても常にジャンル問わず、ほかのアーティストカバーされ続けているが、H-D-Hは、楽曲印税についての不満がもとで1968年にはモータウン離れ同社に対して訴訟起こしている。

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