1959年-1960年
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「リンカーン・タウンカー」の記事における「1959年-1960年」の解説
1959年、リンカーンは既存のコンチネンタルのラインナップにタウンカーとリムジンという2種のフォーマルセダンを追加した。両車ともピラー付きの構造で、内装にはブロードクロスとスコッチグレインレザー、ディープパイルカーペットを採用した。オプションはなくエアコンなどの装備はすべて標準装備で、リムジンの前席と後席の間にガラス製の仕切りが付いていた。 コンバーチブルを含む他のコンチネンタルで採用されていたリバースラント・ルーフラインの代わりにノッチバック・ルーフラインを採用し、重厚なパッド入りのビニール製トップとインセットのリアウィンドウを備えた。ルーフラインの変更はスタイリングをやや控えめな印象とするのみにとどまらず、後席の足元を広くするため、ホイールベースを変更せずに後席の位置を変更するという機能的な目的もあった。その後、ライバル社のインペリアルとキャデラックもこの動きに追従し、フラッグシップモデル(ルバロンとフリートウッド・シックスティスペシャル)のルーフラインを、よりフォーマルでリムジンのようなデザインに変更した。 この年代のタウンカーは、フォードが生産した車種の中で最も希少なものの一つである。1959年から1960年にかけて214台のタウンカーと83台のリムジンが生産された。ボディカラーはすべて黒であった。
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1959年 - 1960年
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「フェラーリ・246F1」の記事における「1959年 - 1960年」の解説
1959年、クーパーのジャック・ブラバムがミッドシップ時代の到来を告げる中、フェラーリは依然フロントエンジンの256F1で戦っていた。ヴァンウォールから移籍したトニー・ブルックスが高速コースで2勝してタイトル争いに残ったが、最終戦アメリカグランプリでチームメイトのヴォルフガング・フォン・トリップスに追突されチャンスを逃した。 1960年になると256F1では表彰台確保もおぼつかなくなり、チームは翌年の1.5Lエンジン規定導入を見越してミッドシップマシンの開発に注力した。最終戦の地元イタリアグランプリで1-2-3フィニッシュを決めて観客を喜ばせたが、これはモンツァ・サーキットの高速バンクが危険だとして英国勢が参加しなかったためである。この優勝はF1におけるフロントエンジン車の最後の勝利として記録された。
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