1959年9月-1960年12月
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「国鉄157系電車」の記事における「1959年9月-1960年12月」の解説
田町電車区(後の田町車両センター→現・東京総合車両センター田町センター)に配置された1次車14両により1959年9月22日から東京 - 日光「日光」・新宿 - 日光「中禅寺」・上野 - 黒磯「なすの」の各準急と間合い運用で日光 - 黒磯快速列車で運転を開始。 下り「日光」→(臨時「第2日光」)→上り「中禅寺」 ← 日光・東京・新宿・上野 宇都宮 → クモハ157 モハ156 サハ157 サロ157 モハ156 クモハ157 下り「中禅寺」→快速黒磯→「なすの」→快速日光→上り「日光」 ← 宇都宮・黒磯 日光・東京・新宿・上野 → クモハ157 モハ156 サロ157 サハ157 モハ156 クモハ157 予備車 McM'ユニット1組 上記6両編成2本による運用は1959年9月22日 - 11月10日・1960年3月20日 - 11月30日で、準急は全車指定席。新宿発着の「中禅寺」は田町区からの出入が山手貨物線を介在するために編成が逆向きとなる関係から、上り「中禅寺」で帰区した編成は翌日の下り「中禅寺」で、上り「日光」で帰区した編成は翌日の下り「日光」に投入する制約があった。また同年10月31日・11月2・7日には下り「日光」 - 上り「中禅寺」の運用間合を活用して、上野 - 日光臨時準急「第2日光」に投入された。 当時の運転計画では「日光」は通年運転であったが、他の2本は春から秋にかけての季節運転であるために同年11月10日に「中禅寺」「なすの」が冬期運休。11月21日から翌1960年1月31日まで余剰となる1編成を投入して東海道本線の混雑緩和用に東京 - 大阪臨時特急「ひびき」に充当されたほか、上り「日光」は東京 - 伊東で延長運転を行った。 運用の変遷 所定の編成と運用(1959年11月21日 - 1960年3月19日の年末年始期間を除く) 下り「日光」→快速黒磯→快速日光→上り「日光」 下り「ひびき」→上り「ひびき」 ← (大阪)・日光・東京・伊東 宇都宮・黒磯(東京) → クモハ157 モハ156 サハ157 サロ157 モハ156 クモハ157 年末年始期間の「日光」減車と「ひびき」増結(1959年12月下旬 - 1960年1月上旬) 下り「日光」→快速黒磯→快速日光→上り「日光」 ← 日光・東京・伊東 宇都宮・黒磯 → クモハ157 モハ156 サロ157 モハ156 クモハ157 下り「ひびき」→上り「ひびき」 ← 大阪 東京 → クモハ157 モハ156 サハ157 サハ157 サロ157 モハ156 クモハ157 ただし、「ひびき」運用と上り「日光」伊東延長は1月31日で終了。なお、1950年12月より1960年1月の年末年始期間では組成に変更があり、「日光」はサハ157を抜いた5両編成で運転し、捻出した同車を「ひびき」の増結に充当している。
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