1959年 - ビル・ブラック・コンボ
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「ビル・ブラック」の記事における「1959年 - ビル・ブラック・コンボ」の解説
1959年ビル・ブラック・コンボ結成。エルヴィスと袖を分かったビルはメンフィスに戻りエース・アプリエンス (エアコン会社) で働きながら新グループ結成の構想を練る。旧知の間柄だった歌手レイ・ハリスからハリス自身が経営陣に名を連ねるハイ・レコードの話を聞きバンドを結成。メンバー内の知名度から「ビル・ブラック・コンボ」と名付けられた。 Bill Black (Bass) Martin Wills (T.sax) Reggie Young (E.Gt) Jerry Arnold (Drs) ハイ・レコードは1957年メンフィスで創業したマイナー レーベル。レイ・ハリス (歌手)、ジョー・クオギ (レコード店経営)、ビル・カントレル、クイントン・クランチの4人を経営陣とし、南ローダーデール通りのロイヤル・スタジオを拠点に録音を行っていた。 1959年 「スモーキー パート2」がヒット。10月リリースされたデビューシングルがR&B部門1位、ポップ部門17位となりハイにとっても最初のメジャーヒットとなる。 1960年 「ホワイト・シルヴァー・サンズ」R&B部門1位。バンド最高のヒットとなりゴールド・ディスク受賞。 1961年 映画「Teenage Millionaire (十代の億万長者) 」、TV番組「エド・サリヴァン・ショー」出演。 1962年 メンフィス チェルシー通りにリン・ルー・スタジオをオープン。 1964年 ザ・ビートルズ北米ツアーをサポート。ビートルズ初のアメリカツアーとなる13都市公演のオープニングアクトを務めたが、ビルは前年からの体調不良により演奏旅行には参加出来ずマネージャー兼ベーシストのボブ・タッカーが代行した。 1965年10月21日 脳腫瘍により死去。メンフィス フォレスト・ヒル墓地に埋葬される。エルヴィスは混乱を避けるため葬儀を欠席、遺族と私的に対面している。未亡人によりバンド名「ビル・ブラック・コンボ」の使用を許可されたメンバーはバンドを継続、サウンドをカントリー音楽に変化させ、1976年「ビルボード・カントリー・インストロメンタル・グループ・オブ・ザ・イヤー」を受賞する。 2009年4月4日 ビル・ブラック、ロックンロール殿堂入り。
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