17世紀のヌーベルフランス
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「北アメリカの毛皮交易」の記事における「17世紀のヌーベルフランス」の解説
「ヌーベルフランス」も参照 アカディアでのイングランドとの確執により、フランスの毛皮交易の拠点はピエール・デュ・グァ・ド・モンによりケベックに移された。サミュエル・ド・シャンプランは、フランス人の収益に重きを置いた交易の拡大をめざした。インディアンたちが毛皮交易の主な役割を担っていたため、シャンプランはすぐさまアルゴンキン族、タドゥサック付近に住んでいたモンタニィエ族(イニュ族)、そして西部に住んでいたヒューロン族との同盟を締結した。イニュとヒューロンはイロコイ語を話す部族で、セントローレンス川流域のフランス人と、ペダンノーの他の諸族との仲介役を果たした。シャンプランは、イロコイ連邦を敵視していた。また、オタワ川からジョージア湾への経路を確保し、これにより毛皮交易は拡大した。後に毛皮輸送はフランス人交易者が行うようになった。インディアンとの交流の重要性が増し、彼らはカヌーやそり、かんじきの作り方や食糧の調達法などを教わった。この時にインディアンとの仲介役を果たしたのが、エティエンヌ・ブルーレのようなフランス人の若者で、彼らはインディアンとともに生活し、交易を促進すると同時に、その土地や言葉や習慣を学んだ 彼らはクーリュール・デ・ボワと呼ばれたが、後には無許可の毛皮交易人として活躍するようになって行った。 シャンプランは交易事業を改善し、競合による多額の損失への対策として、1613年に最初の掛け売りをした。この掛け売りは勅許状で正式に認められた。この一連の寡占化は、ヌーベルフランスがイギリス領となるまで続いた。寡占化貿易の最大の代表格は百人会社(ヌーベルフランス会社)で、1640年代から1650年代に、アビタンに限定的な交易を与えたのと同様に、不規則な権限を有していた。交易が寡占化されている間は、勅許状により本国政府と軍への毎年の歳出が求められたため、人口密度の低かったヌーベルフランスに、入植地が増やされる期待も出てきた。 毛皮交易で得られた莫大な富は、寡占交易の強制が引き起こした問題の一因となった。そして、クーリュール・デ・ボワのような許可を持たない自営の交易者が17世紀末から18世紀初頭にかけて仕事を始め、その間に多くのメティが自営交易者となっていった。彼らはフランス人の罠猟師とインディアン女性の混血児だった。人脈と経験とによる自営交易が、毛皮交易に重要な役目を果たすようになるのと時を同じくして、通貨の使用が広まり、これによって、自営交易者たちの収益は、一層官僚的になった寡占交易のそれを上回るようになった。カナダの南に新たに作られたイギリス植民地は、ただちに金になる毛皮交易に参入し、セントローレンス川峡谷を襲撃して、1629年から1632年の間ケベックを支配した。 毛皮交易は、少数の選ばれし交易者とフランス本国の体制とに富をもたらす一方で、セントローレンス川沿いに住むインディアンたちに重大な変化をもたらしていた。ビーバーの原皮や他の毛皮と、ヨーロッパの品々、たとえば鉄の斧の刃や、真鍮のやかん、布地、そして銃器とが交換され、これによりインディアンの生活水準が飛躍的に向上した。その後、セントローレンス川沿いのビーバーは壊滅状態となり、このため、毛皮獣が豊富なカナダ楯状地への立ち入りを巡って、イロコイ連邦とヒューロン族との抗争が激化した。獲物を巡っての争いは、17世紀初頭に、イロコイ連邦の一員であるモホーク族が、セントローレンス川流域に住むイロコイ族を壊滅させたとされる例もある。モホーク族はヒューロン族と居住地が隣接しており、彼らよりも力が強く、この戦いに勝つことでセントローレンス峡谷の大部分を手中に収めた。 ヒューロン族はオランダ植民地、のちのニューイングランドの交易者を通して鉄砲を手に入れ、この争いで多くの死傷者を出した。ヒューロン族の戦闘史上、前代未聞の大量の血が流れ、嘆きの戦い(モーニング・ウォー)の戦闘が拡大していった。ヒューロン族は近隣の部族を襲って捕虜とし、彼らは表面上は、犠牲となったヒューロン族の代わりを務めた。こういった暴力の応酬により、戦争はエスカレートした。また、この時期に、フランスから持ち込まれた、新手の伝染病により多くのインディアンが死亡し、彼らの共同体が破壊されたのも、その後の勢力図を塗り替えた。戦闘と伝染病とで、1650年までにヒューロン族は絶滅寸前にまで追い込まれた。
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