2001年宇宙の旅とは? わかりやすく解説

2001年宇宙の旅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/13 04:25 UTC 版)

2001年宇宙の旅』(にせんいちねんうちゅうのたび、原題:2001: A Space Odyssey)は、1968年叙事詩的SF映画。 製作・監督はスタンリー・キューブリック、脚本はキューブリックとアーサー・C・クラーク


注釈

  1. ^ 骨から直結されたのが、パンアメリカン航空(PAN AM)のマークをつけた宇宙船と勘違いされることがあるが、パンナム便は最初の宇宙船の後で出てくるので、骨と直接つながってはいない。
  2. ^ 続編の映画『2010年』冒頭によると、月のモノリス発見が1999年、ディスカバリー号内の出来事が2001年の出来事とされている。
  3. ^ 日本語字幕では「吸盤靴」と翻訳されている他、「磁力靴」とされている場合もある。
  4. ^ 現実世界では2001年以前の1991年に破産している。
  5. ^ 公開当時は「ケア・ダレー」と表記されていた。※どこで?
  6. ^ キューブリック監督の実の娘。
  7. ^ 公開当時は「カブリック」の表記だった。のちに「クブリック」となり、更に現在の「キューブリック」に落ち着いた。
  8. ^ それでもディスカバリー号の食事シーンで映るタブレットPC"Tele Pad"にはIBMのロゴが残っている
  9. ^ 結果的に2001年前に同社が何らかの憂き目によって、社名の変更や倒産した場合、途端に時代遅れの作品というリスクを避けられた。
  10. ^ 同じく1993年発売で冒頭曲「ファンファーレ」を収録したエリック・カンゼル指揮シンシナティ・ポップス・オーケストラによるテラーク・レーベルのアルバム「ハリウッド・グレイテスト・ヒッツ Vol.II(CD-80319,1992年12月録音)」の解説ではノースの未亡人から譲り受けたスコアを演奏に用いたという記述がある。
  11. ^ なお、ノースが本作のために書いたスコアは1968年の『栄光の座』、1974年の"Shanks"、1981年の『ドラゴンスレイヤー』に部分的ながら転用された。この3作はいずれもアカデミー作曲賞にノミネートされている。
  12. ^ フランク・ボーマン(Frank Borman)とデヴィッド・ボーマン(David Bowman)では若干スペルが異なる。
  13. ^ カラヤンの『ツァラトゥストラはかく語りき』セッション録音は3種あり、ベルリン・フィル版はいずれも映画の公開より後である。(1) ウィーン・フィル(英デッカ・レコード、1959年3月(32'45"))、(2) ベルリン・フィル(ドイツ・グラモフォン、1973年1月・3月(34'54"))(3) ベルリン・フィル(ドイツ・グラモフォン、1983年9月(35'57"))
  14. ^ a b 日本語のライナーノートでは「ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団」と誤記されている。
  15. ^ 10月8日から11日までを除く

出典

  1. ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)251頁
  2. ^ a b 2001年宇宙の旅[吹替補完版]”. 2016年10月28日閲覧。
  3. ^ Baxter, John (1997). Stanley Kubrick: A Biography. New York: Basic Books. p. 200. ISBN 0-7867-0485-3. https://archive.org/details/stanleykubrickbi00baxt/page/200 
  4. ^ 1988年キネマ旬報社刊『キューブリック好き!』より。
  5. ^ マイケル・ベンソン著『2001 キューブリック クラーク』早川書房 P.73-74
  6. ^ マイケル・ベンソン著『2001 キューブリック クラーク』早川書房 P.78
  7. ^ マイケル・ベンソン著『2001 キューブリック クラーク』早川書房 P.80-89
  8. ^ マイケル・ベンソン著『2001 キューブリック クラーク』早川書房 P.111、115、133-134
  9. ^ 海洋堂の「ディスカバリー号」プロップ再現モデル、受注受付開始 - GAME Watch
  10. ^ 2001:キューブリック、クラーク ISBN 9784152098269
  11. ^ 2001: A Space Odyssey: Special Edition #60 (1968) (Uncut)”. LaserDisc Database. 2015年11月9日閲覧。
  12. ^ 指揮:ジェリー・ゴールドスミス、演奏:ナショナル・フィルハーモニー・オーケストラ
  13. ^ Music for 2001: A Space Odyssey (The Original Score by Alex North) - オールミュージック. 2015年11月9日閲覧。
  14. ^ シネマトゥデイの記事[1]
  15. ^ ワーナー ブラザース ジャパンの公式サイト[2]
  16. ^ ハヤカワ文庫SF旧版(SF243)17章 p. 123より「その背後の長いすらりとしたVの字は、原子炉の余剰熱を消散させる放射翼。(略)最大の推力で加速していたときにはサクランボウ色に輝いていた巨大な放射翼も、今では黒く冷たい」、29章 p. 191より「数千平方フィートの放射翼」
  17. ^ 『S-Fマガジン』1980年10月号の「スタジオぬえのスターシップ・ライブラリー」、『スタジオぬえメカニックデザインブック』では p.177
  18. ^ 2001: A Space Odyssey - オールミュージック. 2015年11月9日閲覧。
  19. ^ 「2001年宇宙の旅」オリジナル・サウンドトラック (東芝EMI): 1999”. 国立国会図書館. 2015年11月9日閲覧。
  20. ^ 製作50周年記念 『2001年宇宙の旅』70mm版特別上映 | 国立映画アーカイブ”. www.nfaj.go.jp. 2018年9月3日閲覧。
  21. ^ “映写技師の奮闘に拍手巻き起こる!「2001年宇宙の旅」70ミリ版上映がスタート”. 映画.com. https://eiga.com/news/20181006/10/ 2018年10月19日閲覧。 
  22. ^ “「2001年宇宙の旅」70ミリ版、全回満席で終了 10月19日からIMAX劇場上映スタート”. 映画.com. https://eiga.com/news/20181017/18/ 2018年10月19日閲覧。 
  23. ^ https://www.nytimes.com/2018/05/11/movies/2001-a-space-odyssey-christopher-nolan-cannes.html
  24. ^ “「2001年宇宙の旅」がUHD BD化。BDもリマスター。2週間限定でIMAX上映も”. AV Watch. https://av.watch.impress.co.jp/docs/news/1143979.html 2018年10月19日閲覧。 



2001年宇宙の旅

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ジャンプカット」の記事における「2001年宇宙の旅」解説

太古の昔、ヒトザルが武器とする獣骨が宙を舞い次の瞬間、それが棒形の軍事衛星替わる宇宙時代達してもなお争い繰り返す人類未熟さ象徴するこの有名なシーンは、俗に映画史最大ジャンプカット」などと呼ばれることがある。しかし類似のイメージを繋ぐこの手法は、正しくマッチカットである。

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2001年宇宙の旅

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HAL 9000」の記事における「2001年宇宙の旅」解説

映画版では1992年1月12日クラークによる小説版では1997年同日)、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校のあるイリノイ州アーバナHAL研究所HAL Laboratories、小説邦訳では「HAL工場」)にて、同型機3号機として稼動状態に入ったとされている。開発者はシバサブラマニアン・チャンドラセガランピライ(通称チャンドラ博士)。 木星探査小説版では土星探査)のための宇宙船ディスカバリー号搭載され船内すべての制御をおこなっていた。チューリング・テストクリアする程の高度なコンピュータである。人間普通に会話コミュニケーション行いディスカバリー号乗員彼の異常について密談した際は窓越しに読唇術会話読み取る離れ業行っている。姉妹機SAL 9000 がある。 探査ミッション遂行のため、HAL 9000乗員話し合い協力するよう命令されていた。しかし一方で密かに与えられモノリス探査任務について、ディスカバリー号乗員に話さず隠せという命令受けていた。『2001年宇宙の旅』では、これら2つ指示矛盾に耐えきれず異常をきたし、ユニット間違った故障予知をはじめるなど奇妙な言動起こり最後に自分停止させようとする乗員排除しようとしたと考えられている。乗員が(死んで)いなくなれば永遠に話さずに済む。ミッション自分だけで遂行すればいいHAL 9000考えたことから、「コンピュータ反乱」の象徴ともなっている。 このため地球との交信アンテナ制御していたAE35ユニット故障誤情報出し修理為に船外出た乗員フランク・プールを遭難させ、冷凍冬眠状態の3人の乗員生命維持装置切って殺害した。さらにデビッド・ボーマン船長排除企てる失敗ボーマンによって自律機能停止された。ボーマンHAL 9000モジュール次々引き抜くなか、HAL 9000は「怖い」「やめてほしい」と訴えながら次第意識混濁させ、1992年HAL研究所チャンドラ博士によって開発されたこと、最初先生が『デイジー・ベル』の歌を教えてくれたことなど稼働初期記憶おうむ返し始め、『デイジー・ベル』を歌いながら機能停止したボーマン巨大モノリス調査中に消息を絶った後、ディスカバリー号と共に10年近く木星付近に放置されることになる。

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2001年宇宙の旅

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アーサー・C・クラーク」の記事における「2001年宇宙の旅」解説

詳細「2001年宇宙の旅」参照 クラークスタンリー・キューブリック監督『2001年宇宙の旅』映画関わるようになった2人1964年ニューヨークで会い映画製作協力する可能性について話し合った。その過程クラーク短編前哨」(1948) を元にした物語とすることが決まった。元々はクラーク自身脚本書くことになっていたが、キューブリックブレインストーミングの中で、まずイマジネーション自由に羽ばたかせるために小説書き、それに基づいて映画作ってはどうかと提案したクラークは後に「そういう形で始まったが、最終的に小説脚本同時進行相互にフィードバックする形で進められた。だから私は映画試写見た後にいくつかの章を書き直した創作技法としては苦労が多いもので、これを楽しめる作家は滅多にいないだろう」と述べている。すなわち「映画原作本」「映画ノベライゼーション」といった関係ではない。映画劇場公開1968年4月であり、小説出版同年7月である。 最高のSF映画として全世界高く評価されており、日本の旧文部省が「特選」に指定した唯一のSF映画でもある。 映画製作忙しスケジュール合間を縫ってキューブリッククラーク小説について協力するのは難しかったクラーク1964年末に小説草稿完成させ、1966年予定されていた映画公開さきがけて1965年小説出版する予定だった。しかし映画公開1968年にまで延び小説その後完成した小説作者としてはクラークだけが記された。後にクラークは、キューブリッククラーク作者としての影響軽く見せかけるために状況操作し小説出版が後になることで映画ノヴェライゼーションあるかのように見せかけたと不満を述べている。様々な理由から物語の詳細小説映画では異なっている。映画には個々事象についてほとんど説明がない。一方クラーク小説版全ての事象について因果関係を完全に説明している。ジェームズ・ランディが後に述べたところによると、映画最初試写の際に宇宙飛行士11分間延々とジョギングしているシーン公開版ではカットされている)を見た後の休憩時間クラークが目に涙を浮かべて試写室を後にしたという。このシーンキューブリックアイデアで、宇宙旅行がいかに退屈なものかを示したのだという。 1972年クラークエッセイ失われた宇宙の旅2001』で映画作成時の状況について詳しく説明し主なシーン別バージョンについても説明している。1999年出版された A Space Odyssey特別版にはクラークによる小説映画リリースまでの経緯詳細に記した文章序文として掲載された。

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2001年宇宙の旅

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ツァラトゥストラはこう語った (交響詩)」の記事における「2001年宇宙の旅」解説

映画『2001年宇宙の旅』中の、が他の群れ相手を棒で殴って殺す場面で第1部導入部」が使われていることは非常によく知られている。冒頭シーン模倣し日食などの天体現象図案化したデザインレコードCDジャケット多用されるほど、この映画楽曲与えた影響は強い。使用され演奏は、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるデッカ盤だった。ウィーン・フィルとの共演望みデッカ録音技術惚れ込んでいたというカラヤンが、それまで専属だったEMI並行する形で契約した最初の録音である(ウィーン・フィルデッカ専属だったため。また同時期にドイツ・グラモフォンとの録音も本格的に開始している)。映画使用され冒頭部最後パイプオルガン和音は、録音会場となったウィーンゾフィエンザールオルガン無かったため、郊外小さな教会収録しミキシングされた。キューブリック監督からの使用申請対しデッカ経営陣指揮者演奏団体表記しないことを条件したため映画成功する競合他社も争うようにこの曲のレコード発売しデッカ大変な損失被ったカラヤンデッカ製作会社MGM告訴検討したほどであった最初に発売されサウンドトラック盤にも、映画はまったく違うカール・ベーム指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団録音収録されていた(そのため、この演奏映画でも用いられているという誤情報一部流布した)が、最新サウンドトラックCD (EMI) にはカラヤン指揮デッカ録音あらため収録されている。 上記場面パロディとして作られた『メル・ブルックス/珍説世界史PARTI』の該当シーンにも当然のように使われていた。

※この「2001年宇宙の旅」の解説は、「ツァラトゥストラはこう語った (交響詩)」の解説の一部です。
「2001年宇宙の旅」を含む「ツァラトゥストラはこう語った (交響詩)」の記事については、「ツァラトゥストラはこう語った (交響詩)」の概要を参照ください。

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