2001年大統領選挙
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「マーク・ラヴァルマナナ」の記事における「2001年大統領選挙」の解説
2001年、現職のディディエ・ラツィラカの対抗馬として私はマダガスカルを愛する(英語版)(通称:TIM党)の大統領候補に選出される。彼は大統領選の公約として、アメリカ大統領のフランクリン・ルーズベルトをモデルに、以下の項目を掲げた。 経済の復興外国からの投資増大 公共投資の増大 貧困層の救済 ラツィラカ政権下の腐敗構造の排除 彼は、スローガンとして「恐れるものは何もない。ただ私を信じるだけでよい」と掲げ、選挙戦を展開した。 2001年12月に投票が行われ、ラヴァルマナナは勝利宣言を行ったものの、ラツィラカは政権移譲を拒否し、ラツィラカ自身の勝利宣言を出す事態となった。ラヴァルマナナが大統領への宣誓を行うと、ラツィラカは非常事態を宣言し、戒厳令を敷いた。ラツィラカと彼の閣僚は、トアマシナに臨時首都を置き、一国に2人の大統領がいる二重政府状態になった。軍部はラヴァルマナナ支持を示したが、ラツィラカ派は激しく抵抗。首都へと続く道を閉鎖し、燃料や特に医薬品の搬送を妨害した。その後2002年4月に最高裁判所の判決により、ラヴァルマナナの勝利が確定する。それでもラツィラカはゲリラ活動により政権妨害を続けた。8月には国連からラヴァルマナナ政権への支持表明がでると、ラツィラカはフランスへと強制退去を受け入れた。その後、ラヴァルマナナは、周辺国との関係改善に努め、アフリカ連合への復帰を果たしている。一方で、2002年の混乱により経済状況は悪化し、この回復が急務となった。
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