魚雷艇「PT-109」との衝突
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「天霧 (駆逐艦)」の記事における「魚雷艇「PT-109」との衝突」の解説
1943年8月2日午前2時過ぎ、輸送任務を終えて帰航中であった天霧はソロモン諸島近くのニュージョージアの西で、1キロ先に「黒いモノ」を発見した。第五戦速で航行中の天霧と「黒いモノ」は瞬く間に接近し、「黒いモノ」が米海軍の哨戒魚雷艇と判明した時には、艦砲の俯角が足らなくなるほど近接していた。天霧は魚雷艇に「体当たり」する格好となり、38トンの木製魚雷艇は真っ二つとなって沈没した。この魚雷艇はジョン・F・ケネディ中尉が艇長を務めるPT-109で、当時付近の海域で哨戒任務にあたっていた。 衝突時の状況に関して、当時艦橋にいた当事者による証言が幾つか存在するが、情報が錯綜しており各証言には食い違いが見られる。天霧に乗艦していた第11駆逐隊司令山代勝守大佐によれば、攻撃・衝突いずれも危険と判断した山代司令が(砲撃するには魚雷艇の位置が近すぎる上に砲炎の閃光で視界を奪われ、衝突すると魚雷が誘爆して損傷する危険がある)、魚雷艇の船尾をすり抜けようと取舵を指令した。そこへ艦長の花見弘平少佐が反対の面舵を号令し、すぐに取舵と号令を改めたが間に合わなかったとして、魚雷艇との衝突は「単なる事故」としている。 一方花見は、「右十度! 前進全速!」を命じて意図的に魚雷艇に衝突したと回想し、「(山代)司令による『取舵を採れ』は聞いていない」としている。 また、当時花見の隣で雷撃戦に備え前方監視を行っていた水雷長の志賀博大尉は、山代司令による取舵の指令はあったと回想している。しかし同時に花見もこの指令に従い取舵の号令を発したと回想しており、かつ「このとき花見艦長は、とっさに、〔魚雷艇に対して天霧を〕正面からぶっつけるのが最善の防御法だと決意した」と、衝突が意図的なものであったように示唆している。 PT-109(魚雷4本搭載、37mm砲1門、乗員13名)は戦時急造の木製であった。レンドバ島の米軍基地には魚雷艇15隻が配備されており、当日も全隻が出動していた。レーダーを装備していた魚雷艇もあったが、各部隊・各魚雷艇間の連絡・連繋が全くとれておらず、各魚雷艇合計魚雷30本を発射しながら1本も命中しなかった。PT-109も敵情・自軍状況を充分把握しておらず、とりあえず命令に従って哨戒行動中であった。 高速で航行する魚雷艇が敵艦と衝突する事は滅多にない。だが当時PT-109は日本軍の航空機による攻撃を避けるため、機関音および航跡を出さないように、3基の内1基だけを使用する、減軸運転を行っていた。米側記録によると、PT-109は突然の会敵で増速が思うようにいかず、速度が乗らないままだったため舵の効きが鈍く、回避が困難であった。甲板の乗組員も火力強化のために特別に換装した対戦車砲に砲弾を装填しようと焦っていたという。 天霧の損傷は艦首のわずかな亀裂と右スクリューの翼が曲がった程度で、航海に支障はなかった。当時の天霧の乗員はPT-109の乗員の全員の戦死を確信し、報告した。第三水雷戦隊司令官伊集院松治大佐は、天霧が魚雷艇を踏み潰したと賞賛した。日本の新聞にも掲載された。 PT-109の乗組員は2名が戦死したが、ケネディ中尉は生存者らを励ましながら5時間に亘って泳ぎ続けて陸地にたどり着き、最終的に残りの11名が救助された。なお、生還した乗組員の1人は後に配属された別の魚雷艇で捕虜(駆逐艦夕雲の乗組員)の反抗に遭い、殺害されている。 ケネディはハーバード大学時代にフットボールで背中を大きく損傷しており、更に天霧との衝突で背中を打ちつけたうえにその後の遠泳で体を酷使したため、生涯にわたって背中の激痛に耐えなければならなかった。 1951年(昭和26年)秋、ケネディは下院議員として来日、花見との面会を希望したが、日程上かなわず帰国した。これ以降花見とケネディは文通で交流する仲になった。 後日、1952年の上院選、1960年の大統領選の際には、天霧の元乗員一同から激励の色紙を贈られている。大統領選において花見は応援に来るように求められたが都合がつかず、代わりに天霧の元乗組員らを派遣したところ、現地で大歓迎を受けたという。また、かつて死闘した敵国軍人が恩讐を超えて選挙応援に駆け付けたことに多くのアメリカ人が心を打たれたことが、アメリカ史に残る大接戦となった大統領選でのケネディ勝利に貢献したといわれる。 映画『魚雷艇109』(英語)として暗殺の5ヶ月前に公開され、日本でも公開された。
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