魚雷艇の登場と発達
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/14 03:25 UTC 版)
詳細は「魚雷艇」を参照 第一次世界大戦中、駆逐艦の汎用化が進むにつれて、それを補うように魚雷攻撃専用の高速艇が復活し、既存の水雷艇と区別して魚雷艇と称された。水雷艇・駆逐艦が外燃機関を用いた排水量型の蒸気船であったのに対し、魚雷艇は基本的に内燃機関を用いた滑走船型のモーターボートであった。ドーバーパトロールのCMB (Coastal Motor Boat) やイタリア海軍のMASが配備されたが、特に後者は、オーストリア=ハンガリー帝国海軍の戦艦「セント・イシュトヴァーン」を撃沈するという大戦果を挙げて、勇名を馳せた。 1930年代中盤のイタリアのエチオピア侵攻を契機としてヨーロッパにおける軍事的緊張が高まると、再び魚雷艇の開発が活発化し、ドイツ海軍のSボートやイギリス海軍の高速魚雷艇(MTB)、アメリカ海軍のPTボートなどが配備されていった。第二次世界大戦において、これらの魚雷艇は広く実戦投入された。
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