非実在説
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「タラシヒコ」という称号は12代景行・13代成務・14代仲哀の3天皇が持ち、時代が下って7世紀前半に在位した34代舒明・35代皇極(37代斉明)の両天皇も同じ称号をもつことから、タラシヒコの称号は7世紀前半のものであるとして、12,13,14代の称号は後世の造作と考える説があり、景行天皇の実在性には疑問が出されている。実際、記紀では専ら「オオタラシヒコ」(大足彦、大帯日子)と表記されていることが多い。 また、前述の伝承ならびに事績はその大半が日本書紀に拠ったものである。その『日本書紀』でも、半分以上が子の日本武尊の征討伝説に充てられており、景行天皇自身に纏わる話はかなり少ない。『古事記』にいたっては、事績のほとんどが倭建命の征討伝説に割かれており、景行天皇自身に纏わる話は全くと言ってよいほど出てこない。このことから、景行天皇が実在した可能性が低いとする説がある。 景行天皇が宮都を営んだとされる志賀高穴穂宮は考古学的な証拠が全く無いので、景行天皇の実在にも疑いがある。
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非実在説
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フレイルの内、刺のついた鉄球状のものは多くの漫画や映画、ゲーム等で中世の典型的な武器として扱われているものの、実戦での使用例についてはそれ程定かではない。博物館等に所蔵されている実物はその殆どが単なる美術品や後世に作られた模造品である可能性が指摘されている。絵画等には鎖付きの鉄球を武器として使用する兵士の姿が描かれた物がいくつか現存しているが、それらは全体的に騎士道物語や神話上の英雄譚を題材にしたものに偏っている。また、武器の使用法を記した当時の指南書等でも、本来の形状である長柄のフレイルは記述があるのに対して、モーニングスター状のものについての記述は確認されていない。 こうした幾つかの論拠から、一部の研究者や武器愛好はモーニングスタータイプのフレイルの存在そのものは認めつつも、戦場での使用については懐疑的な見方をしている。
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非実在説
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「ナスレッディン・ホジャ」の記事における「非実在説」の解説
フランスのルネ・バッセは10世紀末にアラブ世界で流行したクーファのジュハを主人公とする頓知話・小話がアナトリア半島に口伝にもたらされ、物語がトルコ語に翻訳された際に「ジュハ」が「ホジャ」に転訛したと主張した。バッセの説に対して、ホジャが生存したとされる時代より前のジュハの小話にホジャの物語の起源と断定できるものは無いとする反論、ホジャの物語は世界各地で見られる滑稽話・頓知話にトルコ的な装飾が加えられたものであるため、ホジャ自体の実在性は大きな問題ではないとする指摘も現れた。また、アラブ世界の学者からもジュハ物語をホジャの物語とする説が出されている。 バイラクタレヴィッチはバッセーの主張の大部分を肯定し、13世紀末から14世紀のアナトリアに存在していたナスレッディンという名前の道化のホジャが多くの頓知話や笑話を残し、やがてナスレッディン・ホジャはジュハ物語をはじめとする頓知話・笑話の代名詞となったと説明した。
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非実在説
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上記の『施耐庵墓志』は信頼できない史料だとして、中国文学者の高島俊男は厳しく批判している。高島によれば、民国17年に胡瑞亭なる人物が、施耐庵の素性が判明したと主張し、その証拠として持ち出したのが『施耐庵墓志』である。突如発見された上、この頃農民反乱の指導者として人気があった張士誠の参謀だったというこじつけがあることから、学界で強く批判された。研究者によっては全くの偽書として顧みないものさえいるという(高島『水滸伝の世界』ちくま文庫)。 この他、20世紀後半になって、江蘇省興化市に施耐庵が居住していたとして、『施氏族譜』『施氏長門譜』などの資料が次々と「発見」され、施耐庵の詳細な伝記が伝えられている。しかし、これらの資料の信憑性も強く疑われている。 余り信用できない施耐庵の伝記によれば、水滸伝の登場人物のうち宋代の史料に登場しない人物については施耐庵の知り合いの人物がモデルになっていることが多く、県令の武大(武植)、その妻の潘金蓮、酒屋の女将の孫二娘などはそうであるという。
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