実在性と実態
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 05:13 UTC 版)
明治から太平洋戦争敗戦までは学校教育の場で実在の人物として教えられていたが、現在では実在説と非実在説が並存している。直木孝次郎は、斉明天皇と持統天皇が神功皇后のモデルではないか、の説を唱えている。実在すると仮定しても皇后となるには仲哀天皇と血縁が離れすぎており、一方で香坂王、忍熊王の母である大中姫は皇后より下位の妃(みめ)と記述されているものの天皇の従姉妹なので血縁の近さを重視する古代においてはより皇后にふさわしい。大中姫が真の皇后だった場合、神功皇后と後に呼ばれた気長足姫は仲哀天皇とともに行った九州遠征で成果を出して、武内宿禰や武振熊命の協力を得てクーデターを起こしたことになる。また上記のように仲哀天皇崩御から応神天皇即位まで初めての摂政として約70年間君臨したとされるが、その間は天皇不在の空位である。神功皇后は摂政のまま崩御するまで息子を皇位につかせなかったことになるが、仮に女帝として即位していたのならこの不自然さは和らぐ。
※この「実在性と実態」の解説は、「神功皇后」の解説の一部です。
「実在性と実態」を含む「神功皇后」の記事については、「神功皇后」の概要を参照ください。
- 実在性と実態のページへのリンク