豊橋電気の展開
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「豊橋電気 (1921-1939)」の記事における「豊橋電気の展開」の解説
豊橋の豊橋電気では、社長の福澤桃介が社長を兼任する名古屋市の名古屋電灯(翌年東邦電力となる)との合併を纏め、1921年(大正10年)4月豊橋電気を吸収させた。豊橋電気の吸収合併は地元資本の外部資本への吸収と受け止められ、豊橋市会で市営化論が発生するなど反発が起こる中での実施であった。社内でも同社専務の武田賢治や支配人の今西卓は市営化論に賛成であったため、名古屋電灯への合併成立を機にこれを退いた。 武田・今西両名は、1921年2月1日、豊橋電気の社債を原資に資本金200万円(50万円払込)にて「豊橋電気信託株式会社」を設立した。社長に武田、専務に今西が就くほか、山内元平・上村杢左衛門ら田原・福江の人物が役員に名を連ねる。設立段階では電気事業その他に関する有価証券の売買などを事業目的とする会社であったが、この新会社に渥美電気・福江電灯の事業を集約することとなり、同年11月28日付で逓信省から事業譲受認可を得た。登記によると、豊橋電気信託が電灯電力供給を事業目的に追加したのは翌12月22日付である。供給区域は渥美郡のうち田原町・神戸村・野田村・泉村・福江町・赤羽根村・伊良湖岬村の7町村。本社は豊橋市内に構えたが、供給区域内の田原町・福江町の2か所に営業所を構えた。開業1年後の1922年(大正11年)12月22日、豊橋電気信託は「豊橋電気株式会社」へと改称した。 1920年代後半、長期化する不況を背景に全国各地で電気料金をめぐる紛争が発生した。豊橋電気管内も例外ではなく、1930年(昭和5年)に入ると顕在化した。新聞報道によると、1930年2月16日、管内7町村住民による「福江町外六ヶ町村電価値下同盟会」が会社は不当な利益を挙げているとして電灯・電力料金の2割以上の値下げを求める決議をなしたことが発端である。運動側は料金不払い運動を展開するが、2か月経っても解決の兆しはなかった。その後、運動側は5月1日から門灯その他の不用な電灯を消灯し、室内灯も可能な限り消灯するという措置を採る。ここに至り県警察部長が仲介に入り、料金の8分値下げという調停案を示すが、運動側はこれを拒絶、6月3日からの一斉消灯を宣言した。ただし警察と町村長の調停により一斉消灯は回避され、7月1日になって電灯料金1割値下げで会社側・運動側の合意に至りこの争議は解決をみた。 1933年(昭和8年)4月、専務取締役の今西卓が死去した。今西の死を機に武田賢治は求心力を低下させていき、今西と組んで経営してきた豊橋電気軌道(現・豊橋鉄道)などの社長の席を次々と失っていく。豊橋電気でも翌1934年(昭和9年)1月社長を辞任(後任は上村杢左衛門)。1935年(昭和10年)12月再び社長に戻るが、病気のため1937年(昭和12年)11月辞任、そのまま翌月病没した。後任社長には武田正夫(武田賢治長男・早稲田大学商科卒)が就いた。 1937年12月末時点で、豊橋電気の供給区域は田原・神戸・野田・泉・福江・赤羽根・伊良湖岬の7町村であり、会社開業時から変化はなかった。また自社発電所として残っていた田原発電所が1935年(昭和10年)5月に廃止されており、1937年12月末時点での電源は東邦電力からの受電(常時500キロワット・予備500キロワット)のみであった。受電地点は田原受電所と東邦電力泉変電所の2か所。後者は、需要増加により従来からの受電地点である田原受電所から離れた地域で電圧降下が激しくなったため、その対策として1934年(昭和9年)11月泉村大字江比間(現・田原市江比間町)に整備されたものである。供給成績は、最後の決算期にあたる1939年(昭和14年)5月末時点で電灯取付数2万5927灯、電力供給573キロワット、電熱供給55キロワットであった。 1930年代後半に入ると、1937年に小規模電気事業者の整理が国策とされたのを機に全国的に事業統合が活発化した。中京地方の中核事業者である東邦電力も1937年以後隣接事業者を相次いで統合していく。その過程で豊橋電気も統合対象となり、1939年2月10日開催の臨時株主総会にて電気供給事業およびこれに属する財産を東邦電力へ譲渡する旨を決議したのち、同年11月1日付で東邦電力へと事業を譲渡し、同日解散した。譲渡時、資本金は200万円(50万円払込)で、社長は武田正夫が務めていた。東邦電力への統合から2年半後の1942年(昭和17年)4月、太平洋戦争下の配電統制のため中京地方の配電事業はさらに中部電力の前身中部配電へと統合された。
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