豊橋鉄道時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/24 08:11 UTC 版)
1997年7月2日、豊橋鉄道渥美線の架線電圧が1,500Vに昇圧されたのに伴い、全車両を本系列に置き換えることになった。このため、部品確保名目で廃車となった中間車2両を除く28両が同社へ転籍した。4両固定編成車両は主にラッシュ時のみ使用された。同社では順次、行先方向板を撤去し手動式正面方向幕を設置する改造が行われたほか、塗色を渥美線レッドをベースとし、下部に渥美線クリーム色の太帯を通したものへ変更された。また、7304F、7307Fは入線時に「なのはな号」と「なぎさ号」と愛称が付けられ、それぞれ黄色に黄緑色の帯、水色に白色の帯への塗装変更と先頭車前面左側窓下に塗装により描かれた愛称表示が追加されていた。 なお、渥美線では車両形式4桁のうち千の位と百の位で車体長を表す付番基準になっているが、本系列のみが元の形式のままで営業運転を開始しており、唯一の例外であった。また、渥美線では初の中間車が登場している。 これにより、渥美線の車両はすべて冷房付き・転換クロスシート・固定窓となったが、600V時代にはカルダン車1900系も在籍していたため、カルダン車を吊り掛け駆動車へ置き換えるという珍現象が起きた。 しかし、出自が高速運転向きの吊り掛け駆動車で起動加速度が低いうえに、2扉クロスシート配置ということもあり、ラッシュ時を中心に遅延が発生しやすく、置き換えと同時に12分間隔へと増発したダイヤも乱れがちになってしまい、再度ダイヤを戻す事態になった。そのため全車ワイパーの電動化、順次主抵抗器の更新などを行っていたが、わずか3年程度で元東京急行電鉄7200系の1800系で置き換えられることになった。その後、予備車として1編成(「なのはな号」)が在籍していたが、2002年3月31日のさよなら運転を最後に廃車となった。なお、2001年初頭に「超過激!電車丸ごとプレゼント」というキャッチコピーで無償譲渡先を募り、実際に一部の車両が譲渡された。これ以降、他の鉄道事業者でも廃車体を解体せずに無償譲渡先を募る例が出ている(相鉄新6000系、横浜市交1000形など)。比較的良好な状態で保存されている例としては、愛知県豊橋市大山町のク7302がある。内装は変更されているものの、整備は行き届いている。 豊鉄7300系現役時代(向ヶ丘駅にて撮影) 豊鉄7300系各色(水色、黄色はそれぞれ4両固定編成車両のもの) 無償譲渡された元豊橋鉄道7300系(河内長野市松ヶ丘東町)
※この「豊橋鉄道時代」の解説は、「名鉄7300系電車」の解説の一部です。
「豊橋鉄道時代」を含む「名鉄7300系電車」の記事については、「名鉄7300系電車」の概要を参照ください。
- 豊橋鉄道時代のページへのリンク