豊橋鉄道移籍後とは? わかりやすく解説

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豊橋鉄道移籍後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/31 09:58 UTC 版)

北陸鉄道モハ2300形電車」の記事における「豊橋鉄道移籍後」の解説

豊橋鉄道へは1967年昭和42年5月26日入線し、前述のように当初はモ300形301号・302号)と称した製造比較新しかったため、入線時の改造続行灯の設置など小規模な改造とどまった塗装北陸鉄道時代のままで、上部クリーム下部ピンクであったパンタグラフ当初より装着されていたことや、明る塗装相まって東田本線車両の中ではひときわ異彩を放ったその後1968年昭和43年11月1日付の改番により、モ3300形3301・3302と改称改番された。 1971年昭和46年11月30日には、ワンマン運転対応車として登場したワンマン化改造では、バックミラー・ブレーキ灯・バンパー前照灯下のワンマン表示板などが取り付けられた。この改造では塗装変更されなかったが、1972年昭和47年11月から1973年昭和48年1月にかけてストロークリーム地に赤い帯を巻く「新豊鉄色」に変更された。また、塗装変更同時に運転台正面中央窓に通風口取り付けられ窓の形状変わった1977年昭和52年)には、単線区間閉塞方式変更伴ってパンタグラフ運転台寄りから中央移設された。1990年平成2年以降塗装全面広告変更されている。 路面電車としては高性能かつ車齢が比較新しいことで豊橋での運用続いたが、同路線運行されているモ3100形モ3200形次々と冷房化改造を受けるようになったものの、モ3300形小型ゆえに冷房改造が困難であったことから、以後予備車として赤岩口車庫で休むことが多くなった。1999年平成11年)にモ3500形2両(3503号・3504号、いずれも冷房車)が入線するとモ3300形存在意義なくなり2000年平成12年3月廃車された。運用終了前、再び北陸鉄道金沢市内線在籍時の姿に戻されさよなら運転が行われた。

※この「豊橋鉄道移籍後」の解説は、「北陸鉄道モハ2300形電車」の解説の一部です。
「豊橋鉄道移籍後」を含む「北陸鉄道モハ2300形電車」の記事については、「北陸鉄道モハ2300形電車」の概要を参照ください。

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