名古屋電灯への合併
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 17:07 UTC 版)
1920年代に入ると、名古屋電灯が周辺事業者の合併を積極化するようになり、1920年(大正9年)にまず愛知県一宮市の一宮電気を合併し、翌1921年(大正10年)2月岐阜電気、4月には愛知県豊橋市の豊橋電気を合併した。そして1921年8月、名古屋電灯は板取川電気・尾北電気・美濃電化肥料の3社の合併に踏み切った。合併は名古屋電灯を存続会社とし、3社を合併に伴い解散するというもので、その合併条件は以下の通りであった。 板取川電気 板取川電気は合併契約時、資本金100万円・払込額70万円(額面50円払込済1万株・20円払込1万株)であったが、合併成立までに株金を徴収して払込額を75万円に増額する。その上で、板取川電気の株主に対して持株1株につき名古屋電灯の同額払込株式を0.97株の割合で交付する。 尾北電気 合併時の資本金は100万円・払込額40万円(額面50円払込済3000株・25円払込3000株・12円50銭払込1万4000株)。全2万株のうち8000株を板取川電気が保有しており、それ以外の1万2000株についてその株主に対して持株1株につき名古屋電灯の同額払込株式を1.05株の割合で交付する。 美濃電化肥料 合併時の資本金は300万円・払込額100万円(25円払込2万株・12円50銭払込4万株)。全6万株のうち1万7000株を板取川電気が保有しており、それ以外の4万3000株についてその株主に対して持株1株につき名古屋電灯の同額払込株式を0.515株の割合で交付する。 一連の合併に伴う名古屋電灯の増資額は270万7250円。 合併手続きは、1921年3月25日名古屋電灯株主総会における合併決議、同年8月2日逓信省による合併認可、8月21日名古屋電灯における合併報告総会、という順で完了し、21日をもって被合併3社は解散した。合併直後の1921年10月、名古屋電灯は奈良県の関西水力電気と合併し、翌1922年(大正11年)には九州の九州電灯鉄道などを合併して、中京・関西・九州にまたがる大電力会社東邦電力となっている。 名古屋電灯への合併直前にあたる1921年6月末時点において、供給区域は板取川電気が美濃町・関町ほか29町村、尾北電気が犬山町ほか24町村であった(詳細は下記#供給区域参照)。また1919年末時点における逓信省の統計によると、電灯供給実績は板取川電気が需要家9,085戸・取付灯数1万5,291灯、尾北電気が需要家6,901戸・取付灯数1万2,396灯(いずれも休灯中・臨時灯を除く)、電力供給実績は板取川電気が434.6キロワット、尾北電気が176.9キロワットであった。 なお美濃電化肥料が経営していた美濃町のカーバイド工場も名古屋電灯の兼業となった。その後1923年(大正12年)1月に電気興業所への経営委託となり、同社が東邦電力から土地建物一切を借用し美濃町工場(カーバイド電気炉1台設置)として経営していたが、1939年(昭和14年)8月に揖斐川電気(現・イビデン)が他の工場を含む電気興業所の事業一切を買収した。工場の閉鎖時期は不明。
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