名古屋電気鉄道(名古屋市電の前身)における焼き討ち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/13 14:35 UTC 版)
「電車焼き討ち事件」の記事における「名古屋電気鉄道(名古屋市電の前身)における焼き討ち」の解説
1914年(大正3年)、名古屋市において路面電車を運営していた名古屋電気鉄道(名電)に対し、不況下(当時はまだ、第一次世界大戦が勃発した直後)のもと市民は運賃の高さに不満を持っていた。名電の運賃値上げを機にその不満が噴出し、市内路線の事業独占を糾弾すべくデモクラシー運動を展開する団体が鶴舞公園で主催した「電車賃値下問題市民大会」に多数が集まり、会終了後に高揚した一部の参加者が暴徒と化し、偶々近くを走行していた市内電車や、郡部線(郊外路線)のターミナル駅であった柳橋駅、隣接の名電本社へ破壊・放火するなどの事態に発展し、本社建屋・柳橋駅舎と電車23両などが被災(焼失・破壊)した。これによって、名古屋市当局は市内路線の市有化を強力に求めるべきとの考えを強め、1922年(大正11年)に名古屋電気鉄道の名古屋鉄道と名古屋市電への分割・事業譲渡として結実した。
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