名古屋電灯入社
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教師を辞めて再び実業界入りを志すと今度は東京電灯に入社し営業課員として勤めるが、同社に見切りをつけて約2年半で退職。辞職後は名古屋へ赴き、慶應義塾の先輩で当時名古屋電灯を経営する福澤桃介(常務取締役、1914年以降社長)と面会し、同社へと入社した。間もなく第一次世界大戦が勃発し、村瀬は召集されて第3師団付となるが、出征しないまま名古屋電灯に復帰。同社では営業課長を務め、次いで1916年(大正5年)2月副支配人に昇任した(青木義雄とともに副支配人、支配人は角田正喬)。 村瀬が副支配人となった名古屋電灯では、木曽川・矢作川開発を企画して1914年(大正3年)に「臨時建設部」を設置していた。1916年2月、同部の組織を拡充して総務・電気・土木の3課が設置されると村瀬は総務課長も兼任した。臨時建設部ではまず木曽川にて賤母(しずも)発電所、矢作川にて串原仮発電所の建設に着手する。このうち串原仮発電所は、電力不足の折柄竣工を急ぐために既設長良川発電所から予備設備を移設し、機械にあわせて発電所位置を選定するという荒業で1918年(大正7年)4月に運転を開始させた。この工事に関連して村瀬は工事の認可を得るべく地元や当局との折衝にあたった。 1918年9月、名古屋電灯から電源開発部門などが独立して木曽電気製鉄(後の木曽電気興業)が設立され、新会社が木曽川や矢作川での電源開発を手がけ、名古屋電灯は配電事業に特化するという体制となった。この際、村瀬は名古屋電灯副支配人を辞任し、木曽電気製鉄の支配人へと転じた。翌1919年(大正8年)9月、電源開発用セメントの自給目的で設立された名古屋セメントの代表取締役に就任。さらに同年10月、木曽川の電力を関西地方へと送電すべく木曽電気興業と京阪電気鉄道の合弁で大阪送電が設立されると、村瀬も取締役に選出された。
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名古屋電灯入社
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石川栄次郎は1886年(明治19年)9月15日、石川粂三郎の長男として愛知県碧海郡長崎村井杭山(依佐美村を経て現・安城市)に生まれた。父が名古屋市に出て米屋を開業したため、7歳のとき名古屋市へ転居。幅下小学校、愛知県立第一中学校(愛知一中)を経て1907年(明治40年)に名古屋高等工業学校(現名古屋工業大学)土木科に進む。中学・高工の後輩大西英一(日本発送電総裁、土木学会会長等を歴任)とは一生の友人となった 1910年(明治43年)卒業と同時に逓信省臨時発電水力調査局に入る。同局は当時の逓信大臣後藤新平が省内に設置した河川調査機関である。6月、石川は名古屋支局に配属され、まず矢作川の調査にとりかかった。続いて長良川、木曽川、飛騨川、揖斐川、宮川、櫛田川、雲出川と調査を進め、中部地方の河川を踏破した。この水力調査局は五カ年計画で河川調査を実施する予定であったが、大臣が交代したので方針が変わり、行政整理のため3年目で廃止となる。そのため石川らは予定を切り上げ、東京の本省にて1年がかりで報告書を纏めた。 水力調査局廃止後は逓信省を辞め、名古屋の電力会社名古屋電灯株式会社に入社した。同社では当時、福澤桃介が1913年(大正2年)に常務取締役、翌年に社長となって経営を掌握しており、電源開発の体制を整えるため各方面から人材を引き抜いていた。水力調査局名古屋支局の主任技師で石川の上司であった杉山栄も1913年に同社へ入社しており、杉山の紹介で1914年(大正3年)2月に石川も入社、東京から名古屋へと戻った。名古屋電灯では、新設されて間もない臨時建設部に配属された。臨時建設部は当初、主任の杉山栄のほか石川や藤波収など合計4名が所属するのみの小さな組織であった。主たる任務は、建設済みの八百津発電所よりも上流側の木曽川開発で、水利権の出願や実施計画に関する調査を担当した。 1914年9月、八百津発電所改良工事の主任となったのが石川にとって初めての現場経験であった。1917年(大正6年)3月、名古屋電灯が賤母(しずも)水力の水利権を獲得すると、賤母発電所建設の担当となり現地に入る。同発電所建設に関連して、工事用のつり橋「対鶴橋」の設計を行った。しかし同年9月、大桑発電所建設の担当に転ずるよう指示され、現地に入り実地調査を始めた。大桑発電所は翌1918年(大正7年)10月に着工され、1921年(大正10年)3月に竣工する。建設工事に際し、石川は土木部門の工事担任者の一人となった。
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