賤母発電所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/20 01:25 UTC 版)
賤母発電所(しずもはつでんしょ)は、岐阜県中津川市山口にある関西電力の水力発電所である。
- ^ 「関西電力の水力発電所 水力発電所一覧」 関西電力、2017年8月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年6月21日閲覧
- ^ a b c d e 『電力発電所設備総覧』平成12年新版200頁
- ^ a b c d e 『山口村誌』下巻408-415頁
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『大同電力株式会社沿革史』93-96頁
- ^ a b 「木曽電力所の紹介」関西電力、2017年8月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年6月21日閲覧
- ^ a b c 「水力発電所データベース 発電所詳細表示 賤母」(一般社団法人電力土木技術協会ウェブサイト)、2018年6月21日閲覧
- ^ 「中部の遺産が語る初期の発電用水車」52-53頁
- ^ a b c d e f g h i 『大同電力株式会社沿革史』79-86頁
- ^ 『大同電力株式会社沿革史』6-14頁
- ^ a b c 浅野伸一「木曽川の水力開発と電気製鉄製鋼事業」31-34頁
- ^ 『大同電力株式会社沿革史』87-88頁
- ^ a b 『賤母水力』4頁
- ^ 「木曽電気製鉄第4期営業報告書」(J-DAC「企業史料統合データベース」収録)
- ^ a b 『賤母水力』13頁
- ^ a b 『電気協会雑誌』195号
- ^ 『大同電力株式会社沿革史』414-418頁
- ^ 『大同電力株式会社沿革史』424-426・452-543頁
- ^ 『関西地方電気事業百年史』939頁
- ^ 『関西地方電気事業百年史』504・606頁
- ^ 『中日新聞』2019年5月31日付朝刊社会29頁(「通風筒」)
- ^ a b 「木曽川開発の歴史 発電所の碑文3」、関西電力東海支社ウェブサイト。2020年10月15日閲覧
- ^ 『賤母水力』29-30頁
- 1 賤母発電所とは
- 2 賤母発電所の概要
- 3 発電所仕様
- 4 歴史
- 5 賤母発電所紀功碑
賤母発電所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 23:35 UTC 版)
1915年10月27日に木曽川3地点における使用水量増加を申請したのに続いて、名古屋電灯は計画の見直しを進めて1916年6月30日に引用地点の変更を申請した。この結果、木曽川の水利権は以下の4地点となった。 大桑第一水力:福島町字和合 - 大桑村字宮森 大桑第二水力:大桑村字和村 - 大桑村字野尻向 読書水力:大桑村字阿寺 - 読書村字沼田 賤母水力:吾妻村(現・南木曽町大字吾妻)字茅ヶ沢 - 山口村(現・岐阜県中津川市山口)字麻生 このうち最下流の賤母水力の水利権は、流材問題が解決する目処がついたため、森林鉄道敷設の条件付きで1917年3月3日付で許可された。そして同年8月、名古屋電灯は賤母発電所の建設に着手する。 賤母発電所は、吾妻村に木曽川を横断する堰堤を建設して取水し、全長4.9キロメートルの水路を開削して山口村にて出力1万2,600キロワットで発電を行う設計とされた。水車3台をイギリスのボービング (Boving)、発電機3台をアメリカのゼネラル・エレクトリック、変圧器をウェスティングハウス・エレクトリックからそれぞれ輸入したため、第一次大戦の混乱に巻き込まれて延着となったが、木曽電気製鉄への分離を経て、着工から約2年後の1919年(大正8年)7月11日より発電機1台の完成に伴い出力4,200キロワットで運転を開始し、11月1日より全面運転を始めた。賤母発電所の発生電力は、自社での使用および一部事業者への供給に当てられた一部を除いて、ほとんどが名古屋電灯へと供給された。なお竣工後取水量を変更したため増設工事が行われ、1922年(大正11年)3月に出力が1万4,700キロワットへと増強されている。
※この「賤母発電所」の解説は、「木曽電気製鉄」の解説の一部です。
「賤母発電所」を含む「木曽電気製鉄」の記事については、「木曽電気製鉄」の概要を参照ください。
- 賤母発電所のページへのリンク