賤民の社会的地位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/12 22:54 UTC 版)
官奴婢や私奴婢は、逃亡は禁じられ、売買や質入の対象となるなど、非人道的な扱いを受けた。奴婢は主人の所有物であり、奴婢の子供も主人の所有物で、自らの子供を売買することは禁止されていて、買った者も罰せられた。 だが、一定の年齢に達すれば上の階層に上がる事ができる制度などもあり、官奴司に主人が届け出れば家人奴婢を解放して良民とすることもできた。主人の家が断絶して相続者なき場合は、家人奴婢は良民となれた。また僧尼令によれば出家も可能で、還俗後は本色に戻ることが定められた。このため、穢れなどを理由に武士、百姓、町人などと隔絶した一種の身分外身分と言える扱いを受けた江戸時代の被差別民の身分ほど固定されたものではなかった。 しかし奴婢は自らの公認された自立的な共同体を持たず、個人別に良民や朝廷の所有物とされるなど、穢多頭に統率されるなどの形で一定の権利保障の基盤になる共同体組織の保持を保証された江戸時代の被差別民と比べると、権利保障の基盤は脆弱であったとも言える。奴婢は訴訟を起こすこともできたが、刑罰などで不利な裁定を受けた。
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