備考:社員重役について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 15:07 UTC 版)
当初の役員のうち、取締役村瀬末一は支配人を兼ねた。1931年3月時点でも在任が確認できる(副社長兼支配人)。 1928年12月に取締役となった4名は古参社員からの登用で、斎藤直武は名古屋支店長(1909年慶應義塾理財科卒)、木村森蔵は大阪支店長(1909年関西大学法律科卒・元大阪府警警視)、藤波収は技術課長(1911年東京帝大工科大学電気工学科卒・1914年名古屋電灯入社)、有村慎之助は営業課長(1909年東京帝大工科大学電気工学科卒・元日本水力所属)をそれぞれ務める。また翌年12月に取締役となった杉山栄は土木課長を務めるが、杉山は1919年からすでに矢作水力の専務・副社長であった。 1931年6月、職制改革により支配人制に替えて部制が敷かれ、取締役の中から斎藤が経理部長、木村が庶務部長、藤波が工務部長、有村が営業部長に就く。しかし半年後の12月に部制は廃止となり支配人・技師長の職制に置き換えられ、藤波が支配人、有村が技師長に転じた。その後藤波は支配人を会社解散直前まで務めている。職制変更直後の時点では各課長に取締役はいない。 1935年1月再び部制が敷かれ、取締役に昇格していた中から営業部長に宮寺敏雄(1915年慶應義塾卒・名古屋電灯入社)、庶務部長に師尾誠治(1915年東京高商専攻部卒・1920年木曽電気興業入社)、経理部長に宇木幸吉(三井銀行より1932年9月入社)、工務部長に有村慎之助、東京事務部長に佐藤得四郎(松山棟庵の男子、1906年東京帝大法科大学卒)がそれぞれ就任する。後に経理部次長の秋谷謙太郎(1914年慶應義塾卒・名古屋電灯入社)、工務部次長兼土木課長の石川栄次郎(1910年名古屋高工卒・1914年名古屋電灯入社)も取締役となっている。
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