航空機事故死とは? わかりやすく解説

航空機事故死

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 18:45 UTC 版)

坂本九」の記事における「航空機事故死」の解説

1985年レコードレーベルファンハウス移籍5月22日移籍後第1弾シングル「懐しきlove-song/心の瞳」を発売して、再び歌手活動本格化させようとしていた。8月9日には、中村八大コンサートにて「もう一度六・八・九としてやり直したい歌手してやり直したい」という意志伝え中村再度意気投合誓っていたという。 坂本8月11日夜にクイズクロス5』(テレビ新広島)の収録のため広島入りし、翌12日に同番組収録同年8月16日放送分)を行った当初の予定では、『クイズクロス5』の収録後岡山から車で直接大阪入りする予定だったが、夏休み休暇中のうつみ宮土理代役として急遽歌謡スペシャル』(NHK-FM放送)の司会務めることになったため、一旦帰京した。そのため、この『歌謡スペシャル 秋一番!坂本九』の収録坂本生前最後の仕事となった。この番組の中で坂本は、「ステキなタイミング」・「上を向いて歩こう欧陽菲菲デュエット)」・「For The Good Times」・「We are the world」・「心の瞳」・「親父」・「見上げてごらん夜の星を」・「懐しきlove-song」を披露したほか、同年6月8日に「古賀政男記念音楽大賞」で入賞したことに触れ、「とても嬉しかったこれから皆さん一緒にいつまで歌い続けていきたい」と、将来への抱負語っていた。 その後大阪府在住自身の元マネージャー同年9月9日実施予定羽曳野市議会議員選挙応援として翌13日行われる事務所開き駆けつける途中日本航空123便墜落事故巻き込まれ死去43歳没。 坂本は本来、国内移動には日本航空 (JAL) ではなく必ず全日空 (ANA) を使っており、所属プロダクションや妻の由紀子も「手配は必ず全日空で」と指定していたほどだった。しかし、当日全日空便が満席で、飛行機ホテルなどを手配した招待側の側近チケット確保できず、仕方なく確保したのが日本航空123便であった坂本親交があったプロボウラー矢島純一事故1週間前に坂本の家でこの件を知らされ全日空変える事を勧めたが、坂本は「せっかく送ってもらったから」と言って変えなかったという。事故数日前、「全日空満席日航しか取れませんでした」という立候補者側近からの謝り電話入っていたが、当時電話受け取った由紀子忙しく、また勘違いをしていたこともあり、事故が起こるまで特に気に留めていなかった[要出典]。そのため、家族乗客名簿発表されるまで日航機乗っているはずがない信じていた。 しかし、乗客名簿中に「オオシマ・ヒサシ」と「コミヤ・カツヒロ」(小宮勝廣、坂本所属するマナセプロダクションマネージャー)の名が記載されており、事故遭遇したことは否定できない事実となった。この事故運命を共にした小宮早めに羽田空港行き全日空便への振替何度も交渉したが、盆という時節柄叶わず、やむを得ずこの事故機に乗ったという。坂本、そして小宮両名は、政治家著名人利用することの多いボーイング747SR-100の2階席、右列の前方から4番目(64列)に搭乗していた。坂本は、ハンティングワールドボストンバッグ機内持ち込んでおり、墜落現場発見回収された。その中に録音機付きウォークマンSONY製WM-F85)が入っていたため、家族遺言残っていないかと期待したが、当時頻繁に聞いていた楽曲We are the world」が入っていただけで、遺言しきものは何も録音されていなかった[要出典]。 事故翌日8月13日には、事前収録坂本本人出演するフジテレビなるほど!ザ・ワールド200記念放送された。この時点では安否不明の状態であったため敢えて放送され番組最後ではブラックバックに「坂本九さんの無事をお祈りします」というコメント寄せられた。墜落から99時間後の16日家族らによって遺体確認された(遺体発見されたのは14日頃)。遺体損傷激しかったが、普段から身に着けていた笠間稲荷ペンダントが胸に突き刺さっていた事と首の太さ確認決め手となった[要出典]。また、墜落現場では両手足首掴み頭を膝の中に入れる「安全姿勢」をとった状態で発見されており、即死状態であったという[要出典]。 1985年8月17日放送TBSキッチンパトロール』では、遺体確認され翌日であったため、番組冒頭坂本死去伝え哀悼の意を示すテロップ収録日を示すテロップ番組前半後半表示されつつ、元気な姿が放送された。また、同じく遺体確認されてから最初放送となった8月21日放送フジテレビ系夜のヒットスタジオDELUXE」では、森進一当初予定していたオリジナル曲「うさぎ」の歌唱急遽取り止め坂本哀悼の意をこめて坂本持ち歌である「見上げてごらん夜の星を」を涙ながらに熱唱し、スタジオにいた出演者・スタッフのみならず多く視聴者涙を誘った密葬東京都目黒区自宅行われ本葬9月9日港区増上寺執り行われた。そして、札幌テレビ放送福祉番組ふれあい広場・サンデー九』を担当していたこともあり、坂本遺族一緒に亡くなった小宮遺族札幌市内STVホール招き障害者とその家族だけを対象にした「偲ぶ会」として一般葬儀も執り行われた。 戒名は「天真院九心玄聲居士てんしんいんきゅうしんげんせいこじ)」。墓所東京都港区西麻布二丁目長谷寺。墓には「見上げてごらん夜の星を」の歌詞一部刻まれている。 また、親交があった石倉三郎夫妻媒酌人由紀子務めることになっていたが、結婚式直前坂本亡くなったため実現しなかった。 尚、この事故の影響で元マネージャー男性は一旦立候補取り下げようとしたが、周囲励ましによって見事初当選した。

※この「航空機事故死」の解説は、「坂本九」の解説の一部です。
「航空機事故死」を含む「坂本九」の記事については、「坂本九」の概要を参照ください。

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