航空機事故死
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1985年にレコードレーベルをファンハウスに移籍。5月22日に移籍後第1弾シングル「懐しきlove-song/心の瞳」を発売して、再び歌手活動を本格化させようとしていた。8月9日には、中村八大のコンサートにて「もう一度、六・八・九としてやり直したい、歌手としてやり直したい」という意志を伝え、中村と再度の意気投合を誓っていたという。 坂本は8月11日夜に『クイズクロス5』(テレビ新広島)の収録のため広島入りし、翌12日に同番組の収録(同年8月16日放送分)を行った。当初の予定では、『クイズクロス5』の収録後に岡山から車で直接大阪入りする予定だったが、夏休み休暇中のうつみ宮土理の代役として急遽『歌謡スペシャル』(NHK-FM放送)の司会を務めることになったため、一旦帰京した。そのため、この『歌謡スペシャル 秋一番!坂本九』の収録が坂本の生前最後の仕事となった。この番組の中で坂本は、「ステキなタイミング」・「上を向いて歩こう(欧陽菲菲とデュエット)」・「For The Good Times」・「We are the world」・「心の瞳」・「親父」・「見上げてごらん夜の星を」・「懐しきlove-song」を披露したほか、同年6月8日に「古賀政男記念音楽大賞」で入賞したことに触れ、「とても嬉しかった。これからも皆さんと一緒に、いつまでも歌い続けていきたい」と、将来への抱負を語っていた。 その後、大阪府在住で自身の元マネージャーの同年9月9日実施予定の羽曳野市議会議員選挙に応援として翌13日に行われる事務所開きに駆けつける途中、日本航空123便墜落事故に巻き込まれ死去。43歳没。 坂本は本来、国内移動には日本航空 (JAL) ではなく必ず全日空 (ANA) を使っており、所属プロダクションや妻の由紀子も「手配は必ず全日空で」と指定していたほどだった。しかし、当日は全日空便が満席で、飛行機やホテルなどを手配した招待側の側近はチケットを確保できず、仕方なく確保したのが日本航空123便であった。坂本と親交があったプロボウラーの矢島純一は事故の1週間前に坂本の家でこの件を知らされ、全日空に変える事を勧めたが、坂本は「せっかく送ってもらったから」と言って変えなかったという。事故の数日前、「全日空が満席で日航しか取れませんでした」という立候補者の側近からの謝りの電話が入っていたが、当時電話を受け取った由紀子は忙しく、また勘違いをしていたこともあり、事故が起こるまで特に気に留めていなかった[要出典]。そのため、家族も乗客名簿が発表されるまで日航機に乗っているはずがないと信じていた。 しかし、乗客名簿の中に「オオシマ・ヒサシ」と「コミヤ・カツヒロ」(小宮勝廣、坂本が所属するマナセプロダクションのマネージャー)の名が記載されており、事故に遭遇したことは否定できない事実となった。この事故で運命を共にした小宮は早めに羽田空港へ行き、全日空便への振替を何度も交渉したが、盆という時節柄叶わず、やむを得ずこの事故機に乗ったという。坂本、そして小宮の両名は、政治家や著名人が利用することの多いボーイング747SR-100の2階席、右列の前方から4番目(64列)に搭乗していた。坂本は、ハンティングワールドのボストンバッグを機内に持ち込んでおり、墜落現場で発見・回収された。その中に録音機能付きのウォークマン(SONY製WM-F85)が入っていたため、家族は遺言が残っていないかと期待したが、当時頻繁に聞いていた楽曲「We are the world」が入っていただけで、遺言らしきものは何も録音されていなかった[要出典]。 事故翌日の8月13日には、事前収録の坂本本人が出演する、フジテレビ『なるほど!ザ・ワールド』200回記念が放送された。この時点では安否不明の状態であったため敢えて放送され、番組の最後ではブラックバックに「坂本九さんの無事をお祈りします」というコメントが寄せられた。墜落から99時間後の16日、家族らによって遺体が確認された(遺体が発見されたのは14日頃)。遺体は損傷が激しかったが、普段から身に着けていた笠間稲荷のペンダントが胸に突き刺さっていた事と首の太さが確認の決め手となった[要出典]。また、墜落現場では両手で足首を掴み頭を膝の中に入れる「安全姿勢」をとった状態で発見されており、即死状態であったという[要出典]。 1985年8月17日放送のTBS『キッチンパトロール』では、遺体が確認された翌日であったため、番組冒頭に坂本の死去を伝え哀悼の意を示すテロップ、収録日を示すテロップが番組の前半と後半に表示されつつ、元気な姿が放送された。また、同じく遺体が確認されてから最初の放送となった8月21日放送のフジテレビ系「夜のヒットスタジオDELUXE」では、森進一が当初予定していたオリジナル曲「うさぎ」の歌唱を急遽取り止めて坂本へ哀悼の意をこめて坂本の持ち歌である「見上げてごらん夜の星を」を涙ながらに熱唱し、スタジオにいた出演者・スタッフのみならず多くの視聴者の涙を誘った。 密葬は東京都目黒区の自宅で行われ、本葬は9月9日に港区芝の増上寺で執り行われた。そして、札幌テレビ放送で福祉番組『ふれあい広場・サンデー九』を担当していたこともあり、坂本の遺族と一緒に亡くなった小宮の遺族を札幌市内のSTVホールに招き、障害者とその家族だけを対象にした「偲ぶ会」として一般葬儀も執り行われた。 戒名は「天真院九心玄聲居士(てんしんいんきゅうしんげんせいこじ)」。墓所は東京都港区西麻布二丁目の長谷寺。墓には「見上げてごらん夜の星を」の歌詞の一部が刻まれている。 また、親交があった石倉三郎夫妻の媒酌人を由紀子と務めることになっていたが、結婚式直前に坂本が亡くなったため実現しなかった。 尚、この事故の影響で元マネージャーの男性は一旦立候補を取り下げようとしたが、周囲の励ましによって見事初当選した。
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