統一教会用語(原理用語)
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蕩減(とうげん) 朝鮮起源の漢字語のため一般的に朝鮮半島以外で使われることはない。日本では統一教会(世界基督教統一神霊協会)においてのみ教会用語(原理用語)として使われている。統一教会の教義「統一原理」の救済観を「蕩減復帰原理」という。統一教会の教祖文鮮明が「蕩減」と言う時、その99%は統一教会独自の用語「蕩減復帰原理」「蕩減復帰」「蕩減条件」「蕩減条件を立てること」のいずれかの意味で、原義で言うことは1%未満。文鮮明教祖は「蕩減(原義)」と「蕩減復帰」の意味を次のように語っている。 「蕩減とは何であるかというと、百以下のものをもって百と同じに認めてくれることです。」1980年7月1日の説教「蕩減の歴史的基準」「蕩減の本当の意味は何でしょうか。神は私達が負っている負債の総額に充当するために、その内の一定額を支払うことを求めておられます。しかし私達がその条件を満たすことにより、総額が返済されたという立場に立つのです。神は常に誰もが救いを受ける機会が得られるように(負債総額よりも)小さな条件を設定されています。」1981年2月10日の説教「蕩減復帰摂理歴史」 「蕩減復帰とは、小さな条件を通して大きなことを蕩減する(赦す)ことです。例をあげれば百人を赦してあげるために、善なる一人の人間が打たれることを代価として百人の罪が蕩減される(赦される)のです。人間百人の代表として一人を立て、彼が百人の代身として打たれることによって、百人が打たれることを赦され、悪なる立場から善の立場へ帰ってゆくのが蕩減復帰というのです。」1967年6月4日の説教「蕩減が行く道」 文鮮明教祖より「統一原理」体系化の最終版「原理」の執筆を任された李相憲は「蕩減」の意味について論文「統一民族史観」の中で、キリスト教の「赦し」の説明に頻繁に引用される新約聖書マタイによる福音書第18章21節~35節に基づいて説明している。 「僕の主人はあわれに思って彼をゆるし、その負債を免じて⦅蕩減して⦆やった。」マタイによる福音書第18章27節(그 종의 주인이 불쌍히 여겨 놓아 보내며 그 빚을 탕감⦅蕩減⦆하여 주었다)「イエス様は、人間が犯した罪は借金をすることと同じだとしばしば表現されています。例えばイエス様は王様から借りた一万タラントの借金を返す事が出来ないでいる僕の例を挙げています。王様は『もし一万タラントの借金を返すことが出来ないのであれば、お前と妻子と持ち物全部を売って返しなさい』と命じました。それらを全部売っても一万タラントにならないかも知れないが、それで一万タラントの借金と相殺してやるという意味です。これも蕩減を意味します。 ところが僕がひれ伏して『必ず借金を返しますから、暫くお待ち下さい』と言って哀願しました。その姿を見て気の毒に思った王様は『お前の心掛けは殊勝だ。負債を免じてやるから帰りなさい』と言って彼を赦してやったのです。これもやはり蕩減なのです。 イエスの御言葉によって蕩減の意義が明らかにされたと思います。第一に、蕩減とは、負債に関する概念であると同時に、罪に関する概念です。第二に、蕩減とは、一定の条件を立てて、借金を減らすか相殺するのと同様に、罪を減らすか、なくしてもらうこと、罪を赦してもらうことを意味します。第三に、蕩減には、必ず債務者と債権者、または罪人は神様に一定の条件を立てなければ蕩減(赦してもらうこと)を受けることが出来ないことを意味します。第四に、蕩減(赦してもらうこと)は一定の条件を立てて、借金のない、あるいは罪を犯さない状態に戻ること、つまり復帰を意味します。」 — 月刊「ファミリー1993年5月号」李相憲著「統一民族史観」 上記の通り文鮮明教祖、李相憲共に原義に則り、聖書に基づいた説明がなされてあるため、既成神学との連続性が認められる。ただ異なるのは「条件」という言葉を使ったことである。統一教会内部に於いて文鮮明教祖の定義を正確に理解していた記録があるのは李相憲のみである。 他方、文鮮明教祖より「統一原理」の体系化を最初に任された劉孝元の著書「原理講論」では教祖とは異なる定義がなされている。 「どのようなものであっても、その本来の位置と状態を失ったとき、それらを本来の位置と状態にまで復帰しようとすれば、必ずそこに、その必要を埋めるに足る何らかの条件を立てなければならない。このような条件を立てることを『蕩減』というのである。」(日本語版)「무엇이든지 그 본연의 위치와 상태 등을 잃어버리게 되었을 때, 그것들을 본래의 위치와 상태에로 복귀하려면 반드시 거기에 필요한 어떠한 조건을 세워야 한다. 이러한 조건을 세우는 것을 "'탕감"이라고 하는 것이다.」(韓国語版) 「When someone has lost his original position or state, he must make some condition to be restored to it. The making of such conditions of restitution is called "indemnity".」(英語版) — 緒論 (一)蕩減復帰原理 (1)蕩減復帰 これを読んだ金東俊神田外語大学名誉教授は、韓国語版、日本語版、英語版いずれも「これは間違いです」と明言している。この原理講論の記述の影響で統一教会信者達は「蕩減とは償い、罪滅ぼし」と原義とは真逆に解釈する。但し「蕩減」に「償い」の意味は全くない。また「蕩減」の「蕩」の字義を「放蕩/遊蕩」の「蕩」と間違って教えている。 このように原理講論の定義が原義及び文鮮明教祖の定義と異なっているのは、教会創立当初創刊に関わった信者達にとって教祖の略語が判別し難く、劉孝元が執筆の際、文鮮明教祖に質問しても回答がないことがあり、その時は作文したという。また「原理講論」を見るとキリスト教用語や漢字語の初歩的な誤謬が散見され、著者劉孝元がそれらに無知であったことが判る。これらが最初に統一原理体系化を任された劉孝元と最後に任された李相憲の定義が全く異なることの遠因と思われる。 劉孝元は「原理講論」及びその前作「原理解説」を執筆する際、元となった文鮮明教祖の著作「原理原本」の中の「蕩減」が悉く略語であることが見抜けず、校正することなく意訳して定義している。 「하나님이 사랑하는 사람들이 惡한 者에게 죽게 하신것은 그들로 인하여 世上의 惡의 血를 맑히기 위하여 蕩減的立場으로 죽게 하신것이었다.」P.45神が愛する人々を悪しき者のために死なせたのは、彼らによって世の悪の血を浄化するための蕩減(蕩減条件の略)の立場として死んだのだった。「예수 죽음으로 歷史的 罪를 蕩減하며 사탄으로 하여금 뜻 成事하는 것을 없애기 위함이다.」P.109 イエスの死によって、歴史的罪を蕩減(蕩減復帰の略)し、サタンの意図が成就することをなくさせるためである。 — 鮮文大学校教本「原理原本」より そのため「蕩減」本来の意味であり、キリスト教が神の大いなる恵みとして最も重要視する「赦し」の概念が「原理講論」からは完全になくなり、それとは逆の罪人による「償い」の概念のみになった。これに対し日本のキリスト教会は、キリスト教とは相容れない「東洋的発想」と批判している。 英語版は翻訳者の崔元福が、本来「remission(赦し)」と訳すべきを、韓国語版原理講論に従って「償い」と訳そうとして「indemnity(賠償)」と、従来のキリスト教用語とも異なる用語で訳し、世界に広められることとなった。そのためキリスト教会側から、本来キリスト教が説いて来たキリストの贖罪の恵み、神の無条件の愛と憐れみを否定し、罪人自身に賠償を強要するものだという批判を招いている。 文鮮明教祖は長い間、「原理講論」の改訂を許すことはなかったが、初版(1966年5月1日)から18年以上経った1984年7月20日、米国コネチカット州ダンベリー刑務所に収監され、所内で「原理講論」を通読した際、「蕩減復帰原理」の部分にいくつかの重要な誤謬や欠如があるとして、1985年8月20日出監後にそのことを説教している。その頃から文鮮明教祖は「私の最後の仕事は『原理』を書くことだ」と教典の最終版の著述を表明し、それを李相憲に任せていたが未刊に終わった。 統一教会では無原罪で生まれた再臨のキリストとされる文鮮明教祖(今は否定され妻・韓鶴子現教祖)が生誕した韓国を最も迫害したとする日本が支払うべき「賠償(indemnity)」の意味で使われることが多い。
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