統一教会主導の戦後の構想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 06:48 UTC 版)
「日韓トンネル」の記事における「統一教会主導の戦後の構想」の解説
1980年代ごろから、韓国側で日韓トンネルを開削しようという声が一部の団体から上がった。 1981年11月、韓国のソウルで、統一教会の教祖・文鮮明が、自ら主催する第10回「科学の統一に関する国際会議」において、人類一家族実現の基盤にするために全世界を高速道路で結び、経済や文化交流を促進するとした「国際ハイウェイプロジェクト」なるものを提唱した。そして、その「国際ハイウェイ」の最初の起点となるものとして、「日韓トンネル」の建設を提案した。その後、技術者の西堀栄三郎、地質学者の佐々保雄などが中心となって研究が始まり、日韓トンネルの推進団体として1982年4月に「国際ハイウェイ建設事業団」(会長は統一教会と国際勝共連合の会長を兼任する久保木修己)が、翌1983年5月24日に「日韓トンネル研究会」(2004年2月にNPO法人化、1993年発行の書籍には麻生太郎、古賀誠、久間章生など多数の九州の自民党有力議員が顧問として参加したとされた)が設立され保守政治家が賛同したとされた。これら保守政治家と反共という面でつながりのある統一教会ではこのプロジェクトのため信者に献金が奨励され、借金までして多額の献金をする者が多く出ているとジャーナリストで後の参議院議員の有田芳生は述べている。2009年1月8日には、統一教会主導で、一般財団法人国際ハイウェイ財団が認証され、6月8日同財団会長に、統一教会12代目会長の梶栗玄太郎が就任した。2010年現在、統一教会の内部では「日韓トンネル」を「日韓ハイウェイ」とも称し、「1ミリ運動」という名で、信者へ一口5万円の献金を促している。 1986年10月に佐賀県東松浦郡鎮西町(現・唐津市)名護屋で「日韓トンネル名護屋調査斜坑」が起工され、470mまで掘られた。掘削に使われた機械は2010年初頭時点でも入り口周囲に置かれたままになっている。 ルートは概ね戦前の弾丸列車計画時のものと同じで、佐賀県の東松浦半島から壱岐、対馬を経て釜山または巨済島へ至る構想であり、全長は約220km。道路(自動車道)と鉄道(磁気浮上式鉄道か新幹線)の併設を前提にしているようである。工法については海底を掘削するのではなく、コンクリート製のケーソンを一定の深度に並べて構成する沈埋トンネル方式が提案されている。
※この「統一教会主導の戦後の構想」の解説は、「日韓トンネル」の解説の一部です。
「統一教会主導の戦後の構想」を含む「日韓トンネル」の記事については、「日韓トンネル」の概要を参照ください。
- 統一教会主導の戦後の構想のページへのリンク