統一教会と岡潔
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参議院議員時代の1973年、世界基督教統一神霊協会教祖の文鮮明に助言を求めるため面会して以来、統一教会の思想や運動に深く関わりを持つようになり、元筑波大学学長の福田信之と共に、統一教会に重用された。1974年、統一教会が中心になって設立された世界平和教授アカデミーの会長に就任。その後も世界日報論説委員(1975年)や日韓トンネル研究会名誉会長(1977年)など、統一教会関連の団体の役職を数多務めている。 1979年7月にはソウル・ロッテホテルにおける国際学術会議で韓国語によるスピーチを行った。1984年、文鮮明の人物像や理念を紹介した「文鮮明 人と思想」を上梓。 1987年1月16日に統一教会本部において正寿の昇華追悼式が挙行された。 逸話としては1969年に統一教会関連の市民大学講座学長に就任し、開講提唱者である数学者の岡潔を講師として招聘しているものの、統一教会の全体主義的な教義に従う正寿について「松下 知的センスゼロ」と激しく非難されている。また講演箇所が固定的にならないよう、市民大学という名称も都市大学に変更するよう要請されている。正寿はこうした岡潔の指摘を受け入れると同時に岡潔を信奉していた。
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