第12の哨戒 1945年6月 - 8月とは? わかりやすく解説

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第12の哨戒 1945年6月 - 8月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/22 18:25 UTC 版)

バーブ (潜水艦)」の記事における「第12の哨戒 1945年6月 - 8月」の解説

6月8日バーブ12回目哨戒オホーツク海方面向かったこの頃には、日本には目ぼしい船舶がほとんどなかったが、バーブ哨戒海域大い暴れた6月21日未明バーブ北緯4439東経14643分 / 北緯44.650度 東経146.717度 / 44.650; 146.717の国後島北西海域で2隻の100トンラガー英語版)を発見し、5インチ砲と40ミリ機関砲37ミリ機銃射撃撃沈6月22日未明バーブ北海道斜里沖に浮上最大射程である4,700ヤード(約4,300メートル)の距離から斜里の市街向けてロケット弾12発発射した。攻撃後、バーブ樺太方面針路向けた。翌6月23日バーブ北緯4741東経14306分 / 北緯47.683度 東経143.100度 / 47.683; 143.100の地点150トン級木スクーナーあるいは大型トロール船砲撃撃沈し1人捕虜得た6月26日バーブ北緯4940東経14423分 / 北緯49.667度 東経144.383度 / 49.667; 144.383の地点で3隻の輸送船中心とする輸送船団発見するが、護衛が「照月駆逐艦」1隻、海防艦2隻、駆潜艇2隻と厳重で、深深度に潜航の上秘密兵器マーク28誘導魚雷を1本発射したが、命中しなかった。6月29日午後には、北緯4825東経14247分 / 北緯48.417度 東経142.783度 / 48.417; 142.783の地点で「照月駆逐艦」が護衛する輸送船団に対して魚雷3本発射し爆雷攻撃避けてもう3本発射、さらにマーク28誘導魚雷を2本発射したが、いずれの攻撃成功しなかった。7月2日5時30分ごろ、バーブ海豹島西岸沖に浮上した海豹島には日本海軍見張所やレーダーアンテナなどが設置されており、バーブ海豹島にわずか1,000メートルにまで接近して10時ごろまで三度わたって5インチ砲と機銃艦砲射撃行い倉庫見張所、灯台などをことごとく破壊した7月3日1時40分ごろには敷香町沖に出現し、約3,700メートルの沖からロケット弾攻撃二度にわたり約10分間行った。昼ごろには、北緯4825東経14354分 / 北緯48.417度 東経143.900度 / 48.417; 143.900の地点で1,000トン沿岸輸送船発見しマーク27誘導魚雷英語版)を1本発射して命中させ、目標撃沈報じた7月5日朝、バーブ亜庭湾侵入していった。湾内には鉄道連絡船ラガートロール船および護衛艦などの目標がいたが、「リバティー船のような輸送船」が発見され目標はそちらに移された。その「リバティー船のような輸送船」がソビエト連邦籍でないことを確認した後、北緯4604東経14214分 / 北緯46.067度 東経142.233度 / 46.067; 142.233の地点魚雷をまず3本発射し反転してさらに2本発射。1本が海岸命中して爆発し他の魚のうち1本が停泊中の輸送船第十一札幌丸(大阪商船、2,821トン)に命中し同船V字にへし折り轟沈させた。7月8日夕刻バーブ北緯4726東経14246分 / 北緯47.433度 東経142.767度 / 47.433; 142.767の栄浜村沖に浮上し、9ノット航行する75トンラガー砲撃撃沈した後、第38任務部隊ジョン・S・マケイン・シニア中将)の支援を行うため根室海峡方面移動した7月10日午前バーブ北緯4413東経14523分 / 北緯44.217度 東経145.383度 / 44.217; 145.383の地点で2隻の小型沿岸輸送船発見して魚雷3本発射したが、1本が海岸命中して爆発した以外は何事も起こらなかった。7月11日朝にも北緯4403東経14630分 / 北緯44.050度 東経146.500度 / 44.050; 146.500の地点50トン級ディーゼルサンパンを発見し、5インチ砲と40ミリ機関砲射撃沈めた7月13日から15日まで、歯舞群島経由して厚岸釧路方面支援任務行った後、再び宗谷海峡方面移動した7月18日11時過ぎには、バーブ北緯4603東経14216分 / 北緯46.050度 東経142.267度 / 46.050; 142.267の西能登呂岬沖で、護衛付き大泊向けて航行中稚泊連絡船宗谷丸鉄道省、3,593トン)と護衛艦発見しバーブ護衛艦に対して魚雷を2本、宗谷丸に対して魚雷3本発射し、1本は陸地に当たり、別の1本は宗谷丸の横に入り込んできた第112海防艦命中。第112海防艦爆発が収まると艦首のみを海面上に突き立て沈没していた。 この後バーブ乗組員はフラッキー艦長から大胆なプラン披露された。鉄道爆破のための志願部隊上陸させるというのである攻撃時間はおよそ30分と定められ7月22日の夜も更けた頃、ウィリアム・M・ウォーカー中尉以下8名の志願部隊は、バーブ離れて北緯4742東経14232分 / 北緯47.700度 東経142.533度 / 47.700; 142.533の陸地上陸し樺太東線線路爆薬設置志願部隊は無事バーブ戻ってきた。爆破成功し150名の乗客もろとも16編成列車吹き飛ばした判断された。バーブからもこの光景確認することが出来バーブのフラッキー艦長は「美し光景」と戦時日誌書いた7月24日深夜から翌25日未明にかけて、バーブ知取町元泊村保を目標ロケット弾発射し可燃物のある建物命中したらしく爆発確認され、相当なダメージ与えた判断された。日が昇ってからは北知床半島にある散江村沖に浮上し1135分頃から約30分間わたって市街サンパン群に対して60発の砲弾浴びせ50トンサンパン4隻と100トンサンパン1隻を撃沈した7月26日午後に北緯4420東経14601分 / 北緯44.333度 東経146.017度 / 44.333; 146.017の国後島西岸にある漁村沖に現れ所在35隻のサンパン倉庫工場艦砲射撃行いことごとく炎上させ、他に100トントロール船1隻を沈める。バーブ悠々と引き上げていった時には漁村もうもうたる黒煙包まれていた。バーブ国後水道通過してミッドウェー島針路向けた8月2日バーブ54日間哨戒終えてミッドウェー島帰投バーブはこの哨戒での功績海軍殊勲部隊章受章した

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