第12の哨戒 1945年6月 - 8月
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「バーブ (潜水艦)」の記事における「第12の哨戒 1945年6月 - 8月」の解説
6月8日、バーブは12回目の哨戒でオホーツク海方面に向かった。この頃には、日本には目ぼしい船舶がほとんどなかったが、バーブは哨戒海域で大いに暴れた。6月21日未明、バーブは北緯44度39分 東経146度43分 / 北緯44.650度 東経146.717度 / 44.650; 146.717の国後島北西海域で2隻の100トン級ラガー(英語版)を発見し、5インチ砲と40ミリ機関砲、37ミリ機銃の射撃で撃沈。6月22日未明、バーブは北海道斜里沖に浮上。最大射程である4,700ヤード(約4,300メートル)の距離から斜里の市街に向けてロケット弾を12発発射した。攻撃後、バーブは樺太方面に針路を向けた。翌6月23日、バーブは北緯47度41分 東経143度06分 / 北緯47.683度 東経143.100度 / 47.683; 143.100の地点で150トン級木造スクーナーあるいは大型トロール船を砲撃で撃沈し、1人の捕虜を得た。6月26日、バーブは北緯49度40分 東経144度23分 / 北緯49.667度 東経144.383度 / 49.667; 144.383の地点で3隻の輸送船を中心とする輸送船団を発見するが、護衛が「照月型駆逐艦」1隻、海防艦2隻、駆潜艇2隻と厳重で、深深度に潜航の上、秘密兵器のマーク28型誘導魚雷を1本発射したが、命中しなかった。6月29日午後には、北緯48度25分 東経142度47分 / 北緯48.417度 東経142.783度 / 48.417; 142.783の地点で「照月型駆逐艦」が護衛する輸送船団に対して魚雷を3本発射し、爆雷攻撃を避けてもう3本発射、さらにマーク28型誘導魚雷を2本発射したが、いずれの攻撃も成功しなかった。7月2日朝5時30分ごろ、バーブは海豹島の西岸沖に浮上した。海豹島には日本海軍の見張所やレーダーアンテナなどが設置されており、バーブは海豹島にわずか1,000メートルにまで接近して10時ごろまで三度にわたって5インチ砲と機銃で艦砲射撃を行い、倉庫や見張所、灯台などをことごとく破壊した。7月3日1時40分ごろには敷香町沖に出現し、約3,700メートルの沖からロケット弾攻撃を二度にわたり約10分間行った。昼ごろには、北緯48度25分 東経143度54分 / 北緯48.417度 東経143.900度 / 48.417; 143.900の地点で1,000トン級沿岸輸送船を発見し、マーク27誘導魚雷(英語版)を1本発射して命中させ、目標の撃沈を報じた。7月5日朝、バーブは亜庭湾に侵入していった。湾内には鉄道連絡船、ラガー、トロール船および護衛艦などの目標がいたが、「リバティー船のような輸送船」が発見され目標はそちらに移された。その「リバティー船のような輸送船」がソビエト連邦籍でないことを確認した後、北緯46度04分 東経142度14分 / 北緯46.067度 東経142.233度 / 46.067; 142.233の地点で魚雷をまず3本発射し、反転してさらに2本発射。1本が海岸に命中して爆発し、他の魚雷のうち1本が停泊中の輸送船第十一札幌丸(大阪商船、2,821トン)に命中し、同船をV字にへし折り轟沈させた。7月8日夕刻、バーブは北緯47度26分 東経142度46分 / 北緯47.433度 東経142.767度 / 47.433; 142.767の栄浜村沖に浮上し、9ノットで航行する75トン級ラガーを砲撃で撃沈した後、第38任務部隊(ジョン・S・マケイン・シニア中将)の支援を行うため根室海峡方面に移動した。7月10日午前、バーブは北緯44度13分 東経145度23分 / 北緯44.217度 東経145.383度 / 44.217; 145.383の地点で2隻の小型沿岸輸送船を発見して魚雷を3本発射したが、1本が海岸に命中して爆発した以外は何事も起こらなかった。7月11日朝にも北緯44度03分 東経146度30分 / 北緯44.050度 東経146.500度 / 44.050; 146.500の地点で50トン級ディーゼルサンパンを発見し、5インチ砲と40ミリ機関砲の射撃で沈めた。7月13日から15日まで、歯舞群島を経由して厚岸、釧路方面で支援任務を行った後、再び宗谷海峡方面に移動した。7月18日11時過ぎには、バーブは北緯46度03分 東経142度16分 / 北緯46.050度 東経142.267度 / 46.050; 142.267の西能登呂岬沖で、護衛付きで大泊に向けて航行中の稚泊連絡船宗谷丸(鉄道省、3,593トン)と護衛艦を発見し、バーブは護衛艦に対して魚雷を2本、宗谷丸に対して魚雷を3本発射し、1本は陸地に当たり、別の1本は宗谷丸の横に入り込んできた第112号海防艦に命中。第112号海防艦は爆発が収まると艦首のみを海面上に突き立てて沈没していた。 この後、バーブの乗組員はフラッキー艦長から大胆なプランを披露された。鉄道爆破のための志願部隊を上陸させるというのである。攻撃時間はおよそ30分と定められ、7月22日の夜も更けた頃、ウィリアム・M・ウォーカー中尉以下8名の志願部隊は、バーブを離れて北緯47度42分 東経142度32分 / 北緯47.700度 東経142.533度 / 47.700; 142.533の陸地に上陸し、樺太東線の線路に爆薬を設置。志願部隊は無事バーブに戻ってきた。爆破は成功し、150名の乗客もろとも16両編成の列車を吹き飛ばしたと判断された。バーブからもこの光景を確認することが出来、バーブのフラッキー艦長は「美しい光景」と戦時日誌に書いた。 7月24日深夜から翌25日未明にかけて、バーブは知取町と元泊村樫保を目標にロケット弾を発射し、可燃物のある建物に命中したらしく爆発が確認され、相当なダメージを与えたと判断された。日が昇ってからは北知床半島にある散江村沖に浮上し、11時35分頃から約30分間にわたって市街とサンパン群に対して60発の砲弾を浴びせ、50トン級サンパン4隻と100トン級サンパン1隻を撃沈した。7月26日午後には北緯44度20分 東経146度01分 / 北緯44.333度 東経146.017度 / 44.333; 146.017の国後島の西岸にある漁村沖に現れ、所在の35隻のサンパンや倉庫、工場に艦砲射撃を行いことごとく炎上させ、他に100トン級トロール船1隻を沈める。バーブは悠々と引き上げていった時には、漁村はもうもうたる黒煙に包まれていた。バーブは国後水道を通過して、ミッドウェー島に針路を向けた。8月2日、バーブは54日間の哨戒を終えてミッドウェー島に帰投、バーブはこの哨戒での功績で海軍殊勲部隊章を受章した。
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