第12の哨戒 1944年4月・喪失とは? わかりやすく解説

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第12の哨戒 1944年4月・喪失

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/10 16:57 UTC 版)

ガジョン (SS-211)」の記事における「第12の哨戒 1944年4月・喪失」の解説

4月4日、ガジョンは12回目哨戒マリアナ諸島方面向かった4月7日ジョンストン島燃料補給したが、その後消息不明となった5月23日ミッドウェー島帰投する予定だったが、ガジョンはついに姿を現さなかった。6月7日にガジョンは喪失したものと推定され、公式に宣言された。 4月18日6時30分、松輸送支援のため対潜哨戒中の九〇一空硫黄島派遣隊九六式陸攻1機が硫黄島南東166海里地点潜没たばかり潜水艦発見し爆弾2発を投下爆弾艦首艦橋直後命中し潜水艦は大爆発起こして轟沈、跡には濃厚な重油膜が広がっていた。これはガジョンの最期一つ考えられる。他にも、硫黄島北西付近横須賀航空隊九七式飛行艇爆雷攻撃沈没した潜水艦がガジョンだとも、「マウグ島近海攻撃受けて沈没しつつある潜水艦がガジョンだろう」だとも言われている。このうち、九〇一空の攻撃に関しては、戦後英訳して記録提出した際、翻訳者硫黄島を "Iwo Jima" と書くべきところを、なぜか "Yuoh Jima" と誤記してしまった。"Yuoh" をどう読もうそういう名の島がないことから、九〇一空の記録アメリカ側にはあまり相手にされなかった時期があった。 ガジョンは3年活動期間中に合計14隻の撃沈確認した。その総トン数71,372トン以上に上りアメリカ潜水艦の中で第15位に記録される。ガジョンは7回の哨戒に関して殊勲部隊章受章した。ガジョンは第二次世界大戦戦功11個の従軍星章受章した

※この「第12の哨戒 1944年4月・喪失」の解説は、「ガジョン (SS-211)」の解説の一部です。
「第12の哨戒 1944年4月・喪失」を含む「ガジョン (SS-211)」の記事については、「ガジョン (SS-211)」の概要を参照ください。

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