第12の哨戒 1944年4月・喪失
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「ガジョン (SS-211)」の記事における「第12の哨戒 1944年4月・喪失」の解説
4月4日、ガジョンは12回目の哨戒でマリアナ諸島方面に向かった。4月7日にジョンストン島で燃料を補給したが、その後の消息は不明となった。5月23日にミッドウェー島に帰投する予定だったが、ガジョンはついに姿を現さなかった。6月7日にガジョンは喪失したものと推定され、公式に宣言された。 4月18日6時30分、松輸送支援のため対潜哨戒中の九〇一空硫黄島派遣隊の九六式陸攻1機が硫黄島南東166海里の地点で潜没したばかりの潜水艦を発見し、爆弾2発を投下。爆弾は艦首と艦橋直後に命中し、潜水艦は大爆発を起こして轟沈、跡には濃厚な重油膜が広がっていた。これはガジョンの最期の一つと考えられる。他にも、硫黄島北西付近で横須賀航空隊の九七式飛行艇の爆雷攻撃で沈没した潜水艦がガジョンだとも、「マウグ島近海で攻撃を受けて沈没しつつある潜水艦がガジョンだろう」だとも言われている。このうち、九〇一空の攻撃に関しては、戦後に英訳して記録を提出した際、翻訳者が硫黄島を "Iwo Jima" と書くべきところを、なぜか "Yuoh Jima" と誤記してしまった。"Yuoh" をどう読もうとそういう名の島がないことから、九〇一空の記録はアメリカ側にはあまり相手にされなかった時期があった。 ガジョンは3年の活動期間中に合計14隻の撃沈を確認した。その総トン数は71,372トン以上に上り、アメリカ潜水艦の中で第15位に記録される。ガジョンは7回の哨戒に関して殊勲部隊章を受章した。ガジョンは第二次世界大戦の戦功で11個の従軍星章を受章した。
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