第12の哨戒 1944年6月 - 8月とは? わかりやすく解説

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第12の哨戒 1944年6月 - 8月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/01 14:57 UTC 版)

トートグ (潜水艦)」の記事における「第12の哨戒 1944年6月 - 8月」の解説

6月23日トートグ12回目哨戒本州東岸方面向かった7月8日トートグ北緯4117東経14130分 / 北緯41.283度 東経141.500度 / 41.283; 141.500の地点商船魚雷を1本命中させて撃沈浮上して生存者1名を救助し生存者陳述によれば船名貨物船松丸日本海汽船888トンと言い松丸東京から室蘭向けて木材運搬しているところだった。翌9日トートグ占守島方面向かいつつあった。釧路南方海上航行中水平線上に船を発見トートグ潜航し様子うかがったところ、それはサンパンであったトートグ浮上して5インチ砲を21発発射し、相手船尾破壊して炎上させた。トートグ予定変えて南下し7月19日須美寿島近海東京向けてヤシ油輸送中だった小型船砲撃撃沈。6名を救助して捕虜とし尋問すると、船名はHokuriu Maruと言ったトートグは翌20日に、鳥島から2マイル離れた海上捕虜ゴムボート乗せて解放後西に向かい8月2日北緯3400東経13617分 / 北緯34.000度 東経136.283度 / 34.000; 136.283三木崎沖で輸送船団発見トートグ730メートルところにあった貨物船寧丸(帝国船舶所有/山下汽船運航、1,922トン/旧伊船フリエリ・コンソリー二)に向けて魚雷3本発射。まず1本が命中し目標見えなくなるぐらいの爆発起こした続いて2本目命中すると、後には一条黒煙が残るのみであったトートグ護衛艦からの反撃をかわし、ミッドウェー島向かった。この哨戒での戦果は2隻4,300トン戦後に2,787トン)と前2回と比べる期待はずれなものであった8月10日トートグ48日間行動終えてミッドウェー島帰投アメリカ本土回航され、ベスレヘム・スチール2度目オーバーホール入った作業終了後12月上旬真珠湾戻った

※この「第12の哨戒 1944年6月 - 8月」の解説は、「トートグ (潜水艦)」の解説の一部です。
「第12の哨戒 1944年6月 - 8月」を含む「トートグ (潜水艦)」の記事については、「トートグ (潜水艦)」の概要を参照ください。

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