第12の哨戒 1944年6月 - 8月
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「トートグ (潜水艦)」の記事における「第12の哨戒 1944年6月 - 8月」の解説
6月23日、トートグは12回目の哨戒で本州東岸方面に向かった。7月8日、トートグは北緯41度17分 東経141度30分 / 北緯41.283度 東経141.500度 / 41.283; 141.500の地点で商船に魚雷を1本命中させて撃沈。浮上して生存者1名を救助し、生存者の陳述によれば、船名は貨物船松丸(日本海汽船、888トン)と言い、松丸は東京から室蘭に向けて木材を運搬しているところだった。翌9日、トートグは占守島方面に向かいつつあった。釧路南方海上を航行中、水平線上に船を発見。トートグは潜航して様子をうかがったところ、それはサンパンであった。トートグは浮上して5インチ砲を21発発射し、相手の船尾を破壊して炎上させた。トートグは予定を変えて南下し、7月19日に須美寿島近海で東京に向けてヤシ油を輸送中だった小型船を砲撃で撃沈。6名を救助して捕虜とし尋問すると、船名はHokuriu Maruと言った。トートグは翌20日に、鳥島から2マイル離れた海上で捕虜をゴムボートに乗せて解放後西に向かい、8月2日に北緯34度00分 東経136度17分 / 北緯34.000度 東経136.283度 / 34.000; 136.283三木崎沖で輸送船団を発見。トートグは730メートルのところにあった貨物船杭寧丸(帝国船舶所有/山下汽船運航、1,922トン/旧伊船フリエリ・コンソリー二)に向けて魚雷を3本発射。まず1本が命中し、目標が見えなくなるぐらいの爆発を起こした。続いて2本目が命中すると、後には一条の黒煙が残るのみであった。トートグは護衛艦からの反撃をかわし、ミッドウェー島へ向かった。この哨戒での戦果は2隻4,300トン(戦後に2,787トン)と前2回と比べると期待はずれなものであった。8月10日、トートグは48日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投。アメリカ本土に回航され、ベスレヘム・スチールで2度目のオーバーホールに入った。作業終了後、12月上旬に真珠湾に戻った。
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