第12の哨戒 1944年10月 - 11月とは? わかりやすく解説

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第12の哨戒 1944年10月 - 11月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/26 20:34 UTC 版)

タンバー (潜水艦)」の記事における「第12の哨戒 1944年10月 - 11月」の解説

10月6日タンバー12回目哨戒日本近海向かった10月15日未明タンバー北緯2943東経14309分 / 北緯29.717度 東経143.150度 / 29.717; 143.150の地点においてレーダー3つの目標探知し魚雷4本を発射1つ爆発音聞いた後、タンバー潜航護衛艦から26発の爆雷投下されたが、タンバー損害はなかった。4日後の10月19日タンバー北緯3426東経13952分 / 北緯34.433度 東経139.867度 / 34.433; 139.867の地点レーダー探知した護衛艦に対して魚雷4本を発射2つ爆発確認されたが、それは沈没意味するものではなかった。その後タンバー11月8日に一旦サイパン島寄航し、第101潜水指揮官トーマス・B・クラークリング(英語版大佐指揮下、他の潜水艦とともにウルフパック "Burt's Brooms" を編成して11月10日から日本の南洋上配置されている特設監視艇群を蹴散らす作戦従事した11月16日深夜タンバーは1隻の監視艇に対して魚雷3本発射したが、命中しなかった。45分後にもう3本発射した結果同じだったので、浮上砲戦撃沈することに決めた監視艇反撃しタンバー乗組員一部負傷した。しかし、30分後には勝負決し北緯3000東経13930分 / 北緯30.000度 東経139.500度 / 30.000; 139.500の地点監視艇沈み始めたタンバー監視艇の2名の乗組員海中から引き揚げ捕虜とした。この監視艇高城丸(山下恭一91トン)であり、前日ソーリー (USS Saury, SS-189) に魚雷発射されたが回避していた。11月18日タンバー駆逐艦グレイソン (USS Grayson, DD-435) と会合し捕虜負傷した乗組員移送した。11月30日タンバー55日間行動終えて真珠湾帰投。これがタンバー最後哨戒となった

※この「第12の哨戒 1944年10月 - 11月」の解説は、「タンバー (潜水艦)」の解説の一部です。
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