第12の哨戒 1944年10月 - 11月
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「タンバー (潜水艦)」の記事における「第12の哨戒 1944年10月 - 11月」の解説
10月6日、タンバーは12回目の哨戒で日本近海に向かった。10月15日未明、タンバーは北緯29度43分 東経143度09分 / 北緯29.717度 東経143.150度 / 29.717; 143.150の地点においてレーダーで3つの目標を探知し、魚雷4本を発射。1つの爆発音を聞いた後、タンバーは潜航。護衛艦から26発の爆雷を投下されたが、タンバーに損害はなかった。4日後の10月19日、タンバーは北緯34度26分 東経139度52分 / 北緯34.433度 東経139.867度 / 34.433; 139.867の地点でレーダーで探知した護衛艦に対して魚雷4本を発射。2つの爆発が確認されたが、それは沈没を意味するものではなかった。その後、タンバーは11月8日に一旦サイパン島に寄航し、第101潜水群指揮官トーマス・B・クラークリング(英語版)大佐の指揮下、他の潜水艦とともにウルフパック "Burt's Brooms" を編成して、11月10日から日本の南方洋上に配置されている特設監視艇群を蹴散らす作戦に従事した。11月16日深夜、タンバーは1隻の監視艇に対して魚雷を3本発射したが、命中しなかった。45分後にもう3本発射したが結果は同じだったので、浮上砲戦で撃沈することに決めた。監視艇は反撃し、タンバーの乗組員の一部は負傷した。しかし、30分後には勝負は決し、北緯30度00分 東経139度30分 / 北緯30.000度 東経139.500度 / 30.000; 139.500の地点で監視艇は沈み始めた。タンバーは監視艇の2名の乗組員を海中から引き揚げて捕虜とした。この監視艇は高城丸(山下恭一、91トン)であり、前日にソーリー (USS Saury, SS-189) に魚雷を発射されたが回避していた。11月18日、タンバーは駆逐艦グレイソン (USS Grayson, DD-435) と会合し、捕虜と負傷した乗組員を移送した。11月30日、タンバーは55日間の行動を終えて真珠湾に帰投。これがタンバーの最後の哨戒となった。
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