第一会場
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敷地5万坪、運河水面1万坪、附属競技場1万坪 本館(811坪) - 電気機械照明類。入り口前には電気を象徴するベンジャミン・フランクリン象のたった噴水があった。 交通館(200坪) - 電鉄沿線、パノラマ。 動力館(200坪) - 模型及び外国製品。 別館(240坪) - 船用及び無電気類。 参考館(300坪) - 統計及び官庁出品。 実験館(112坪) - 印刷及び電気実演。 第二別館(300坪) - 計器及び家庭器具。 農事電化園(2,000坪) - 農事電化機械 家庭電化館(112坪) - 家庭電気応用機。 殖民館(120坪) - 殖民地特産物類。台湾館や朝鮮館、シンボルの精華水晶塔が建てられた。 外国館(312坪) - 外国製諸機械類。 水晶塔(9坪) - 高さ100尺、採水落下。夜間には電飾が見られた。 保険衛生館(62坪) - 電気医療器具類。 その他出品 - 水力電気模型、エレベーター高塔(200尺)、ラジオホール、電気温泉(400坪)、館外出品(川北電気、電業社、荏原製作所、日本エレベーターなど) 余興設備 - 演芸館(216坪)、第二演芸館(200坪)、野外余興場(25坪)、第一奏楽堂(14坪)、第二奏楽堂(18坪)、大海運動館、コドモ電車、世界一周、お伽園、シープレーン、電気温泉
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第一会場(野毛山会場)
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「日本貿易博覧会」の記事における「第一会場(野毛山会場)」の解説
現在の野毛山公園一帯を会場としていた。敷地面積は27,500坪。 野外劇場 300坪で2,000人が収容可能とされた。ライオンマンの紙芝居や人形芝居、ボクシング大会、のどじまん大会などが連日行われた。 天文館 50cmの反射望遠鏡を展示、使用可能であった。絵葉書としても採用されている。 児童遊園地 ブランコ、滑り台、ジャングルジムなどの遊具のほか、ビックリハウスと呼ばれるアトラクションも存在した。 水中レビュー館 美女が潜る、といった見出しが確認される。 日本庭園 敷地内に水中レビュー館と児童遊園地を含んだ。後の野毛山動物園。 児童館 2館が存在した。1館目の一階では劇や映画を毎日行っていた。2階では天体展と気象展が行われた。この2階はガラス張りのサンルームであり、並べられた望遠鏡で横浜の街や港を一望できた。 2館目の入り口では、水兵人形が喋り館内を案内した。無線で動く豆自動車、トンネルをくぐる豆電車、子供相談室、科学手品などがあった。 第一、第二科学発明館 通信科学の展示が行われた。また、高柳式テレビジョンが4台展示された。これは新聞紙大の画面に投影させるテレビであった。 テレビの展示において、植田彌生、植田かね子、前島愛子、原圭子の4人が案内を行い、その後テレビに映る実演を行ったとある。 プール 計画当初は大噴水池であったが、拡張しプールとなった。後に競泳用プールとなり、1949年9月15日から9月18日まで第4回国民体育大会の夏季水泳大会会場となる。 2010年現在、老朽化により解体済み。 野毛山小劇場 「美と官能の水まつり」などのイベントが行われた。 観光館 2館が存在。建物の「YOKOAHAMA CALLS」の文字が目立った。風土や交通、温泉巡りなどが展示されていたほか、土産の即売、全国名物試食休憩所などもあった。 迎賓館 3月23日に、川村吾蔵より3体の胸像(マ元帥、アイケンバーカー中将、グリーフ提督)が贈られている。
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第一会場(メイン)
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「国際科学技術博覧会」の記事における「第一会場(メイン)」の解説
茨城県筑波郡谷田部町御幸が丘(現在:つくば市御幸が丘)。現在は、筑波西部工業団地 及び 科学万博記念公園となっている。
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