秦(しん)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:39 UTC 版)
「キングダム (漫画)」の記事における「秦(しん)」の解説
中華西端の大国。首都は咸陽。昭王の代に六大将軍の働きによって大きくその勢力を伸ばした、七国中でも一、二を争う強国。その強大振りから、一時期は「西帝」とよばれた程である。作中でも天下統一を狙い活発な軍事活動を続けてはいるが、昭王時代よりも武威には陰りが見える。荘襄王の代に丞相となった呂不韋が国の実権を握っており、大王派との間で政争が続いていたが、嬴政の加冠の儀の際における政変により、大王派が実権を取り戻している。歩兵における什伍の制度に代表されるように、七国中最も論功行賞の制度が確立されている。 六大将軍(ろくだいしょうぐん) 昭王によって「戦争の自由」という権利を与えられた秦の6人の大将軍。彼らの存在によって、かつての秦は中華で最も危険な国とされていたが、昭王亡き後はその名を継ぐ者が現れず、その武の威光は失われている。呂不韋によると、六大将軍制は常に兵糧や兵士の補充を必要とし、国に著しい負担を与え、また独立色を強める制度のために謀反の恐れが常に付きまとうとされ、昭王と六将の間にあった鉄の忠誠心があってこそ成り立っていたという。構成員は白起を筆頭として王騎・摎・王齕・胡傷・司馬錯。唯一存命していた王騎も作中で没した。始皇十三年に、政により六代将軍制の復活を宣言。蒙武・騰・王翦・楊端和・桓騎の5人が任命されたが、6人目は他の5人と比肩する者がまだいなかったため空席となっている。 飛信隊(ひしんたい) 初陣での戦果で信が百人将となった時に発足した特殊部隊で、発足初戦の馬陽戦において王騎から「飛信隊」の名を授かる。 発足当初は一癖も二癖もある荒くれの百姓を中心とした特殊百人隊で、渕、羌瘣の2人を副長としていた。百姓ゆえに軍装も充分に整わぬばかりか、騎馬や弓に長けた配下など皆無に等しく、剣と槍に頼った白兵戦で戦っていた。馬陽後には三百人隊へと増員され、さらに山陽攻略戦では進軍中に特例として臨時千人隊へと増員、増員された隊員は元郭備隊の隊員であり、郭備隊副長の楚水を副長に加えた。本戦では輪虎を討ち取り、その功で正式に千人将として認可されるも羌瘣が一時離脱。そのため策略を練ることの出来る人物がいなくなり苦戦が続く状態であったが、後に河了貂が軍師として参入し改善した。 対合従軍戦では万極を討ち、麃公から兵千人を補給され実質二千人隊となった。対合従軍戦後の論功行賞によって三千人隊へと増員し、元麃公軍の岳雷率いる五百人を加える。彼らは後に乱戦特化兵「飛麃」と呼ばれるようになった。成蟜の反乱の頃には隊に復帰した信が四千人将、さらに羌瘣も千人将へと昇進し五千人隊となっている。著雍攻略戦では霊凰を討ち、本陣を落とした功により信が五千人将、羌瘣も三千人将へと昇進し八千人隊となった。黒羊戦後に元桓騎軍であった那貴とその一家が新しく飛信隊に加入し、さらに新たに募兵を行い選りすぐりの千人の新兵が加わる。 鄴攻略戦では岳嬰、趙峩龍さらには龐煖を討ち取り、信(李信)が将軍、羌瘣が五千人将に昇進し合わせて一万五千人の軍となり、その後羌礼が加入する。 三百人隊の時から前線ではその強さに恐れられている一方で、決して略奪を犯さないことでも有名。剛力(ごうりき) 羌瘣が考案した対騎馬戦法。伍二組で十人が固まって盾を構える陣形で、突撃して来る騎馬を一丸と壁になって防御する。上手く受ければ敵騎馬を弾いて落馬させることが出来るが、その分反動も大きく負傷者も出やすい。 玉鳳隊(ぎょくほうたい) 王賁の初陣と共に、百人隊として発足した特殊部隊で、番陽を副長としている。山陽攻略戦では三百人隊として臨み、進軍中に特例として臨時千人隊へと増員、戦後に正式に千人将として認可される。その後山陽平定の功で二千人将に昇進。合従軍戦で王賁は臨時で五千人の指揮を任され、戦後に三千人将に昇進する。著雍侵攻戦の頃には王賁は四千人将となっており、さらに関常率いる千人隊の増援を加え五千人隊となり著雍戦を臨む。そして紫伯を討ち取り、その功で王賁は五千人将に昇進する。鄴攻略戦では秦軍右翼で活躍しさらに尭雲を討ち取り将軍へと昇進、一万の軍となりさらに亜光軍から三千騎を率いて亜花錦が移籍したことで更なる活躍をする。龍指(りゅうし) 撓る様な軌道で槍を突く王賁の槍術の一つ。 龍巣(りゅうそう) 目に留まらない速さで突き続ける王賁の槍術の一つ。 楽華隊(がくかたい) 蒙恬率いる特殊部隊で胡漸、陸仙を副長としている。韓侵攻戦で蒙恬は千人将となったが祖父蒙驁により三百人隊に留め置かれる。山陽攻略戦では進軍中に特例として臨時千人隊へと増員、戦後に正式に千人隊として認可される。対合従軍戦で蒙恬は臨時で五千人の指揮を任され、戦後に二千人将に昇進、嬴政加冠編後の時点では四千人将となっている。鄴攻略戦の時点では五千人将となっており、開戦初日に秦軍左翼の危機を救ったことで臨時将軍に任命される。その後蒙恬の親代わりで副長の胡漸を失うが、戦後正式に将軍へと昇進、一万の軍となりさらに蒙武軍から剛将・愛閃が移籍したことで更なる活躍をする。 後宮(こうきゅう) 秦において三千人を超える宮女と宦官から成る城で、宮女のほとんどが名家の出であることから、それらを束ねたならば絶大な力を要するとされる。呂不韋でさえ手を出しあぐねる強大な勢力であり、政陣営と呂氏陣営の争いにも不干渉を貫いていた。しかし、実際は長の太后が呂不韋と手を結んでおり、裏から支援していた。 三大宮家(さんだいみやけ) 太后の下で後宮を仕切る三侍女の後ろ盾となっている実力者。氾家、介家、了家の三氏。 宦官(かんがん) 去勢した官吏。男子禁制の後宮で唯一出入りが認められている男性の官吏であり、一様に縦に開いた覆面を被っている。
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