神子元島燈台とは? わかりやすく解説

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神子元島灯台

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所在地
静岡県下田市
点灯年月日
明治3年11月11日
塗色
白地に黒横帯2本塗
構造:
円形石造
光り方:
群閃白光 毎16秒に2閃光
光り強さ
400,000cd
光りが届く距離:
19.5海里
構造物の高さ:
23.31m
海面から光りまでの高さ:
50.79m
レンズ:

第3大型レンズ
水銀回転機
電源:
自家発電(発動発電機)

石造としては,我が国現存する当時の姿をそのまま残している最古灯台である。設計者は,日本灯台の父であるR・H・ブラントンである。

慶応2年1866年5月幕府米・英・仏の4ヶ国と改税約書江戸条約)を結んだ。この時の灯台のひとつ。

灯塔築造には下田エビス岬から切り出した伊豆石使用し上層部継ぎ目嵌合したダブルテール(鳩尾方式取り入れ中層下層の上左右継ぎ目には,伊豆半島稲取火山灰梨本石灰岩をもって焼成した速製のセメント用いられている。

平成7年度耐震補強合わせた保全実施された。

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神子元島燈台

名称: 神子元島燈台
ふりがな みこもとじまとうだい
種別 史跡
種別2:
都道府県 静岡県
市区町村 下田市神子元島
管理団体
指定年月日 1969.07.25(昭和44.07.25)
指定基準 史6
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S43-12-007[[神子元]みこもと]島燈台.txt: 神子元島燈台は、下田港東京湾出入する船舶のため、明治3年11月11日(1871.1.1)、英人ブラントンRichard Henry Brunton)により、竣工点燈され燈台で、現存するわが国最古官設洋式石造燈台である。
 わが洋式燈台起源は、幕府がアメリカ・イギリス・フランス・オランダの4国と締結した改税約書第11条規定をひきついだ明治新政府が、各国公使協議して安房野島崎相模観音崎剣崎伊豆神子元島紀伊潮岬樫野崎肥前伊王島大隅佐多岬の8ヵ所に燈台設けたことにあるが、このうち当初燈台官舎倉庫をのこすのは神子元島のみにすぎない
 燈台位置下田港南方5浬、燈塔石造円形白色で、明治17年、これに2条の黒横線入れ燈火不動白色第1等燈台である。基礎直径は7メートル、高さは22メートルで、海抜高約30メートル岩島頂部立っている。
 他に、吏員退息所物置、第1・第2倉庫等があり、いずれも石造平屋建当初規模のこしているが、倉庫は現在使用されていない。このほか防波防風用の石垣もある。これらに用いられ巨大な石材下田エビス一帯より切り出されものといわれ、これを切石として整然と積みかさね、鉄棒連結し、その部分に鉛を充填して固定する手法は、まことに堅固なのである目地にはポルトランドセメント表面には漆喰塗ったものと思われる
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神子元島灯台

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/02 01:57 UTC 版)

神子元島灯台
航路標識番号
[国際標識番号]
2447 [M6290]
位置 北緯34度34分31.3秒 東経138度56分29.2秒 / 北緯34.575361度 東経138.941444度 / 34.575361; 138.941444座標: 北緯34度34分31.3秒 東経138度56分29.2秒 / 北緯34.575361度 東経138.941444度 / 34.575361; 138.941444
所在地 静岡県下田市
灯質 群閃白光 16秒毎に2閃光
実効光度 282,000 cd
光達距離 19.5海里(約36km)
塔高 23 m (地上 - 塔頂)
灯火標高 51 m (平均海面 - 灯火)
初点灯 1871年1月1日
明治3年11月11日
管轄 第三管区海上保安本部
下田海上保安部
指定名 神子元島燈台
指定日 1969年7月25日
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神子元島灯台(みこもとしまとうだい)とは、下田港南沖11kmにある神子元島(みこもとしま)に建つ灯台である。

概要

神子元島

幕末に、江戸幕府と列強との間で結ばれた改税約書(江戸条約)に基づき建設された、条約灯台と呼ばれる8基(観音埼野島埼樫野埼神子元島劔埼伊王島佐多岬潮岬)のうちのひとつ。

エジンバラのスティブンソン事務所の灯台標準設計仕様に基づき、リチャード・ヘンリー・ブラントンの指揮、コリン・アレクサンダー・マクヴェインの設計と工事監督により、1869年3月に工事が始まった。明治政府灯明台掛にとって最初の本格的灯台建設であり、日本人の現場監督と職工は組積造に不慣れで、また請負業者の不正が重なり工事は難航を極めた。下田から切りだされた伊豆石を精緻に積み重ね、目地には日本初の速成セメントが使われている。

明治3年11月11日1871年1月1日)に竣工し、初点灯には三条実美大久保利通大隈重信ら明治の元勲とイギリス公使ハリー・パークスが来島し立ち会っている。

現存かつ現役の灯台としては、日本最古であり[1][2][3]国際航路標識協会(IALA)が選定した「世界歴史的灯台百選」のひとつで、また日本国政府により史跡に指定されている。等級は第3等群。

速成セメントに、経年および波浪による劣化がみられたため、耐震補強を兼ねた工事が1982年1995年に行われた。炭素繊維などを使って灯台全体を補強した[2]2007年から2008年にも、電源設備を中心とした改修工事が行われた。

脚注

  1. ^ 海上保安庁 (2010年3月31日). “神子元島灯台”. 2011年2月11日閲覧。
  2. ^ a b 国際航路標識協会編纂『世界の灯台』海上保安庁交通部監修、成山堂書店、2004年。ISBN 4-425-35311-0  87頁
  3. ^ 初点灯が1870年7月8日明治3年6月10日)である樫野埼灯台を最古とする場合もある。
    海上保安庁 (2010年3月31日). “海の雑学”. 2011年2月11日閲覧。

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