菅島灯台
菅島灯台
名称: | 菅島灯台 |
ふりがな: | すがしまとうだい |
登録番号: | 24-0087 |
員数(数): | 1 |
員数(単位): | 棟 |
構造: | 煉瓦造、高さ9.7m、建築面積21㎡ |
時代区分: | 明治 |
年代: | 明治6年 |
代表都道府県: | 三重県 |
所在地: | 三重県鳥羽市菅島町ボシ山122 |
登録基準: | 再現することが容易でないもの |
備考(調査): | 設計はブラントン。 『三重県の近代化遺産』(三重県教育委員会、1996)。 付属官舎は明治村に移築され、重要文化財。 |
施工者: | |
解説文: | 伊勢湾に通じる伊良湖水道に面して、海抜46mの地点に建つ。外径約5mのほぼ円筒形とした煉瓦造灯塔の上に、鉄骨造灯室及び灯籠を設け総高9.7mとする。壁面は煉瓦積で、蛇腹や窓まわりには切石の花崗岩を用いる。わが国現存最古の煉瓦造灯台。 |
その他工作物: | 若桜鉄道若桜駅機関車転車台 若桜鉄道若桜駅流雪溝 若桜鉄道若桜駅給水塔 菅島灯台 豊後水道海事博物館塀 鹿児島旧港北防波堤灯台 |
土木構造物: | JR善通寺駅跨線橋 |
菅島灯台
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/29 07:34 UTC 版)
菅島灯台 | |
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航路標識番号 [国際標識番号] |
2750 |
位置 | 北緯34度30分00秒 東経136度54分31秒 / 北緯34.50000度 東経136.90861度座標: 北緯34度30分00秒 東経136度54分31秒 / 北緯34.50000度 東経136.90861度 |
所在地 | 三重県鳥羽市菅島町122 |
塗色・構造 | 白色 塔形 煉瓦造 |
灯質 | 単閃白光 毎4秒に1閃光 |
実効光度 | 12,000 cd |
光達距離 | 14.5海里(約27 km) |
明弧 | 156度から8度まで |
塔高 | 9.7 m (地上 - 塔頂) |
灯火標高 | 54.5 m (平均海面 - 灯火) |
初点灯 | 1873年(明治6年)7月1日 |
管轄 | 海上保安庁 第四管区海上保安本部(鳥羽海上保安部) |
区分 | 重要文化財(建造物) |
指定日 | 2022年9月20日 |
指定コード | 02743 |
菅島灯台(すがしまとうだい)は、三重県鳥羽市にある菅島の白崎に立つ白亜の中型灯台。「日本の灯台50選」に選ばれている。また、現役では日本最古の煉瓦造灯台であり、建設当初の姿を現在に伝える歴史的・文化的価値の高さから、国の重要文化財に指定されるとともに、Aランクの保存灯台に指定されている。
周辺は、伊勢志摩国立公園に指定され、伊良湖水道を望む風光明媚の地。
歴史
- 1673年(延宝元年)、この地にかがり火を焚いて目印とする「御篝堂(おかがりどう)」が建てられた。菅島周辺では、難破する船が多く、当時の船乗りたちから「鬼ケ崎」と呼ばれ、恐れられていたが、この海域に多くの岩礁があったためだ。そこで、河村瑞賢(江戸時代初期の政商で、東廻・西廻海運の開拓者)の江戸幕府への建議等により、作られることになった。このため、日本初の公設灯台とされる[1]。その後、200年にわたって、海を守って、火が焚かれてきたが、その役割は、明治時代になって、洋式灯台へ引き継がれることとなった。
- 1873年(明治6年)7月1日に、現在の洋式灯台が初点灯したが、これは、「灯台の父」と呼ばれるリチャード・ヘンリー・ブラントンの設計によるレンガ造灯台で、国産の赤煉瓦を使っており、竣工式には、西郷隆盛など当時の政府高官が多数列席した。
- 1959年(昭和34年)7月まで職員が駐在し、管理されていたが、以後無人化された。
- 1964年(昭和39年)付属の旧退息所は、博物館明治村に移築保存され、1968年(昭和43年)4月25日、国の重要文化財に指定された。
- 2009年2月、国の近代化産業遺産に認定された[2]。
- 2010年2月、国の登録有形文化財に登録された[2]。
- 2013年、LED灯器に変更された。
- 2022年9月、国の重要文化財に指定された[3]。
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ブラントンの指導の下、三重県渡鹿野島の瓦師 竹内仙太郎が製造した菅島灯台建造用煉瓦
交通
鳥羽市営定期船乗り場から菅島行き市営定期船で20分、下船後徒歩20分[2]
周辺情報
脚注
外部リンク
固有名詞の分類
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