碑文論争とは? わかりやすく解説

碑文論争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/08 09:02 UTC 版)

原爆死没者慰霊碑」の記事における「碑文論争」の解説

慰霊碑石碑前面には、「安らかに眠って下さい 過ち繰返しませぬから」(やすらかねむってください あやまちくりかえしませぬから)と刻まれている。 この文章は、自身被爆者である雑賀忠義広島大学教授当時)が撰文揮毫したもの浜井信三広島市長述べた「この碑の前にぬかずく1人1人過失の責任一端をにない、犠牲者にわび、再び過ちを繰返さぬように深く心に誓うことのみが、ただ1つの平和への道であり、犠牲者へのこよなき手向けとなる」に準じたものであった。 この「『過ち』は誰が犯したのであるか」については、建立以前から議論があった。GHQによる占領終了し加害国である米国とのサンフランシスコ講和条約発効後の1952年昭和年)8月2日広島市議会において浜井市長は「原爆慰霊碑文の『過ち』とは戦争という人類破滅文明破壊意味している」と答弁した。 また同年8月10日付の中国新聞には「碑文原爆投下責任明確にていない」「あくまで原爆投下したのは米国であるから、『過ちは繰返させませんから』とすべきだ」との投書掲載された。これにはすぐに複数反論投書があり、「広く人類全体誓い」であるとの意見寄せられた。浜井市長も「誰のせいでこうなったかの詮索ではなく、こんなひどいことは人間の世界にふたたびあってはならない」と、主語人類全体とする現在の広島市見解通じ主張なされている。 インド人法学者ラダ・ビノード・パール極東国際軍事裁判判事一人)は、同年11月3日から4日間、講演のため広島訪問した慰霊碑訪れ前日4日講演(世界連邦アジア会議)でも、広島長崎原爆が投ぜられたとき、どのような言い訳がされたか、何のために投ぜられなければならなかったか。」と、原爆投下と、投下正当化する主張強く批判していた。そして5日慰霊碑訪れた際、献花黙祷の後に、通訳を介して碑文の内容聞くと「原爆落としたのは日本人ではない。落としたアメリカ人の手は、まだ清められていない」と、日本人日本人謝罪していると解釈し非難した詳細は「ラダ・ビノード・パール#原爆慰霊碑碑文についての発言と碑文論争」を参照 これを聞いた雑賀は、同年11月10日パールに「広島市民であると共に世界市民である我々が、過ちを繰返さないと誓う。これは全人類の過去、現在、未来通ず広島市民の感情であり良心叫びである。『原爆投下広島市民の過ちではない』とは世界市民通じない言葉だ。そんなせせこましい立場に立つ時は過ちを繰返さぬことは不可能になり、霊前ものをいう資格はない。」との抗議文を送った。 このことをきっかけとして、主語原爆死没者か日本人アメリカ人もしくは世界人類か、「誰」が過ち繰り返さないといっているのか。「繰返しませぬから」か「繰りさせませぬ」かといった碑文論争が行われた。 なお雑賀による碑文英訳は「Let all the souls here rest in peace ; For we shall not repeat the evil」で、主語は“We”(我々は)、これは「広島市民」であると同時に全ての人々」(世界市民である人類全体)を意味すると、雑賀1952年11月広島大学教養部での講義などで述べた1970年2月11日には、「碑文犠牲者の霊を冒涜している」と主張する原爆慰霊碑正す会」(岩田幸雄会長児玉誉士夫顧問荒木武相談役)なる市民グループによって碑文抹消改正要求する運動盛り上がった事があった。また、この運動軍国主義的民族主義的主張であると反発する市民グループ対抗して碑文を守る会」を結成し激しい論戦繰り広げられた。この運動に対して時の市長山田節男は「再びヒロシマ繰返すなという悲願人類のものである主語は『世界人類』であり、碑文人類全体対す警告戒めである」という見解示した。この見解出され以降碑文意図するところは、「日本」「アメリカ」といった特定の国の超えて全ての人間が再び核戦争をしないことを誓うためのものである、とする解釈が公式見となったまた、1983年には、慰霊碑主語としてトルーマン記され貼り付けられる事件発生、これを受けて広島市は、浜井市長答弁を基にした説明版(日本語と英語表記)を慰霊碑西側の池の中に設置した説明板では「碑文すべての人びとが、原爆犠牲者冥福祈り戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である。」とあり、犠牲者への冥福不戦誓いの言葉であると解説されている。 以上の経緯経て、「碑文主語人類」が公式見解となり、大きな論争無くなった見られたが、現在も碑文は「人類過ち」又は「日本人過ち」を意味するとの解釈の差があって「特定の国の超えた全ての人間が再び核戦争をしないことを誓う」という広島市側の見解否定的な意見もある。 2016年5月27日現職アメリカ合衆国大統領として初めバラク・フセイン・オバマ2世慰霊碑訪れ犠牲者黙祷捧げ献花行った。「かつて原爆投下した国の指導者であるオバマ氏が、碑の前で、我が事としてその主語に「人類」を当てはめたのでは、そんな想像さえした」と評価された。少年時代広島過ごしたモーリー・ロバートソンは、オバマ演説での「帝国盛衰し、民族支配下におかれたり解放されたりしてきた。それらの節目苦しんできたのは罪の無い人々だった」での「帝国」はアメリカ指しており、また、この慰霊碑主語が「人類」であることがオバマスピーチ解った評し、「今まで欠けていたピース71年時間経て、ぴったりはまったがしました」と述べている。

※この「碑文論争」の解説は、「原爆死没者慰霊碑」の解説の一部です。
「碑文論争」を含む「原爆死没者慰霊碑」の記事については、「原爆死没者慰霊碑」の概要を参照ください。

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