現在までの流れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 06:16 UTC 版)
現在の橋は1979年に完成。それまでは現在の橋の50メートルほど上流側に1951年(昭和26年)完成の片側一車線のコンクリート製の橋があった。しかし、交通量の増加により老朽化が進み、付近に慢性的な交通渋滞が起こること、さらに橋脚の間隔が狭く、川を航行する船が衝突して修繕工事のために片側車線が閉鎖されることがたびたびあったため、架け替えが行われた。旧橋は歩道用として残す案もあったが、航行する船の問題もあり撤去された。今でも一部残された橋脚の跡が干潮時に干上がった砂地に見られる。 現在でも旧橋の名残として、行徳街道分岐終端の市川市相之川1丁目の交番に「今井橋交番」と名前が残っていたり、江戸川区側の篠崎街道に交差点の痕跡が残っている。また1968年ごろまでは、現在の今井橋の西詰付近に東京都営トロリーバスの折り返し場があった。 1951年以前には同じ場所に大正元年完成の木造の橋(下江戸川橋)があったが、増水時橋が流される危険があったことや老朽化もあり、今井橋がかけられた。さらに、大正元年以前にはここに「今井の渡し」と呼ばれる渡し舟があった。 なお今では、高架橋(連続陸橋)で篠崎街道と今井街道を立体交差で通過し、新中川に架かる新今井橋に結ばれている。 現在は京成バス瑞75系統が南行徳駅および新浦安駅へ乗り入れているが、旧今井橋の時代には本八幡駅からバスが出ていた。
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現在までの流れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 22:37 UTC 版)
両国は建国以来「朝鮮の正統な国家」としての立場を巡り敵対的な関係が続き、上記のように朝鮮戦争で朝鮮半島の分断固定化は決定的となった。その後も小規模な軍事衝突がたびたび発生するなど長期間に渡り緊張状態が続いているが、韓国・金大中政権以降の北朝鮮宥和政策、いわゆる太陽政策の推進により、初の南北首脳会談が実現するなど緊張状態はやや緩和した。しかし、一方では北朝鮮の核開発問題や韓国人拉致問題など未解決の問題が山積しており、最近では太陽政策の見直しが叫ばれるなど、統一の見通しが全く立っていないばかりか、統一自体がもはや不可能な状況になっている。 1965年、北朝鮮がCONEFOに加盟した。 その一方で、2000年のシドニーオリンピック、2004年のアテネオリンピック、2006年の冬季トリノオリンピック、2002年アジア競技大会、2003年アジア冬季競技大会、2006年アジア競技大会の開会式では、両国の選手団は統一行進(競技自体は別の国として参加)を行うなど、スポーツの分野では統一の機運は比較的高く、2008年に中国で行われた北京オリンピックでは、真に統一された選手団として出場させる計画もあったが、実現せず、行進も別々で行われた。 また、1991年に日本の千葉県で行われた卓球の世界選手権、同年にポルトガルで行われたFIFA U-20ワールドユース大会では、両国は統一選手団として出場している(U-20サッカーコリア代表を参照)。 2015年1月1日、金正恩は、南北対話を望む主旨の発言を行った。 2018年に韓国で行なわれた平昌冬季オリンピックには北朝鮮も参加、特に女子アイスホッケーでは南北合同チームが結成された。 元仁荷大学教授のシェファード・アイバーソン氏が、朝鮮半島の対立を外交的に解決するために、内部での体制転換を実施するために、朝鮮の上層部のエリートたちに賄賂を送る目的で、1750億ドルの統一投資ファンドを創設することを提案しました。この提案では、平壌で権力を振るうエリート幹部の家族に総額233億ドルを上納し、上位10家族にはそれぞれ3000万ドル、上位1000家族には500万ドルを上納すると指摘している。また、1218億ドルは、統一後の生活を再び始めるために、国の一般住民に行くことになり、基金の収益は、民間団体やビジネスの大物から調達されることが想定されている。
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