独立後のアルジェリア(1962年-)
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「アルジェリアの歴史」の記事における「独立後のアルジェリア(1962年-)」の解説
独立後、FLN内部でのアルジェリア臨時政府のベンユーセフ・ベンヘッダ(英語版)とベン・ベラの対立によりアルジェリアは内戦の危機に陥った。しかし、最終的に軍部を掌握したフワーリー・ブーメディエン(英語版)の支持によって9月10日にてベン・ベラの勝利が確定し、9月25日にアルジェリア民主人民共和国が成立した。 1963年には憲法が制定され、ベン・ベラが大統領に就任した。ベン・ベラはナセル主義と社会主義に影響を受け、フランス系アルジェリア人の出国によって放棄された農地や工場の国有化政策を採り、キューバ革命後のキューバと共に非同盟運動を主導して第三世界諸国や植民地に世界革命の輸出を図った。独立時に支援を受けた隣国のチュニジアとモロッコとは、政治体制の相違や領土問題から対立し、君主制を維持していたモロッコとの間には、同年10月に砂戦争(英語版)が勃発した。アルゼンチン人の革命家チェ・ゲバラがアルジェ演説でソ連を厳しく批判したのもこの頃である。ブラックアフリカ諸国との関係も重視され、1963年に結成されたアフリカ統一機構(OAU)の原加盟国となった。また、132年間のフランス支配によってフランスの影響を受けた国民の「アラブ化」が図られ、アラビア語教育が熱心に行われたが、これはベルベル系の住民の独自性を否定する方向に働き、後にベルベル問題に発展した。こうしてベン・ベラ政権下では大規模な第三世界外交が繰り広げられたが、その一方でしかし、社会主義経済政策により経済は混迷し、失業者は増加した。1965年のアルジェで開催される予定だった第二回非同盟諸国首脳会議の直前に、ブーテフリカ外相の解任をきっかけにしてブーメディエン国防相がクーデターを起こし、ベン・ベラ政権は崩壊した。 クーデターによって1965年に成立したフワーリー・ブーメディエン(英語版)政権は経済の建て直しに成功した。ブーメディエンは政敵を排除し、独裁体制を確立する一方で、内政、外交両面でベン・ベラ時代に進んだ社会主義政策を進展し、国有化政策や重工業化を図った。外交面でブーメディエンは資源ナショナリズムを唱導し、1971年にフランス資本の石油と天然ガスを国有化した。ベン・ベラ以来の第三世界非同盟外交も続き、パレスチナ問題ではパレスチナ解放戦線のゲリラを受け入れて国内で訓練を行うなど、イスラエルとの対立を先鋭化させ、西サハラ問題ではスペイン領サハラからスペインが撤退した後、1976年にモロッコとモーリタニアが両国で西サハラを分割すると、ポリサリオ戦線を支援してサハラ・アラブ民主共和国の後ろ盾となり、西サハラ領有の既成事実化を進めるモロッコと対立した。ブーメディエンが主導権を握った1974年の国連総会(資源総会)ではアルジェリアの名声が高まった。内政面では自主管理農場を推進する一方、戦後高度経済成長を達成していた日本を模範にして重工業化を進めた。しかし、オイルショックによりアルジェリア経済は打撃を受け、先進国への離陸は失敗し、フランスに出稼ぎするアルジェリア人が増加した。1970年代のGDP成長率は7.0%に達し、ブラジルの奇跡(8.4%)や漢江の奇跡(9.5%)ほどではなかったものの、中進国の中では高い経済成長を実現した。1976年11月には憲法が制定され、アルジェリアが社会主義国であることが確認されるとともに、それまで推進されていた政策を3つの革命(農業革命、工業革命、文化革命)のスローガンを法的に確認し、国民統合のためのアラブ化、イスラーム化の加速の法的根拠を与えた。ブーメディエンは1978年に急死した。ブーメディエンは経済成長やアルジェリアの国際社会での地位の確立に一定の功績を残したものの、軍部高級将校やFLN幹部の特権階級化が進むなど、後に爆発する問題が蓄積された。 ブーメディエンの死を受けて1979年に就任したシャドリ・ベンジェディード(英語版)政権は、重工業化の推進による経済開発を推進したが、1980年のアルジェ学生運動や「ベルベルの春(英語版)」事件など、FLN一党体制やアラブ化政策に対する国民の不満が明らかになった。1986年にはインフレが酷く進行し、食糧難や失業などの社会不安を生み出した。1988年10月には食糧不足から10月暴動(英語版)が勃発し、危機感を覚えた政府により1989年に憲法が改正され、複数政党制が認められた。しかし、このような状況を背景として、若年層を中心にイスラーム主義への支持が高まり、こうしたイスラーム主義者のなかには武装闘争を展開するものも現れた。
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