独立後〜死去
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 09:08 UTC 版)
独立後最初の場所だった1967年3月場所には、愛弟子で大関の北の富士勝昭が初優勝を挙げたほか、これまた十両でも愛弟子の松前山武士が優勝した。その後は北の富士を横綱に、独立時の弟子から北瀬海弘光を関脇に育てた。それ以外にも、出身地も卒業した小学校も同じで、後に史上最強の小兵横綱とも言われる千代の富士貢をスカウトした。一方で、協会内においては独立・破門時に委員への降格を余儀なくされていたが、1976年には協会の役員待遇に昇格した。この昇格は、理事長として2期目を迎えたかつての稽古相手・春日野の温情によるものだと言われる。その後は千代の富士を幕内力士まで育て上げたが、九重もこの頃から急激に体調を崩すようになった。九重はやがて肺癌と診断(当時は、癌の場合本人に告知されなかった。)されて入院するが、千代の富士の新三役昇進を見ることなく、1977年10月29日に51歳で没した。
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