独立後「現代韓国の恨」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 05:59 UTC 版)
朝鮮の独立が、民族運動として失敗して弾圧され、自らの力でなく第二次世界大戦の講和交渉として、頭ごなしに連合軍の力によって達成されたことは、後の世代の「恨」となった。また韓国について言えば、独立後の外圧によって成立した李承晩政権の腐敗した独裁政治、朴正煕の鉄拳統治、さらにそれ以後の軍事政権・光州事件など、内なる弾圧の歴史も「恨」となっている。それで今日得られなかった勝利の代替物として、あるいは抵抗精神の表れとして、例えばスポーツなどにおける日韓戦に必要以上に熱狂したり、与野党の争いや労働組合の労使紛争において憤りの余り過激な行動をとったりするのである。また、日本(大日本帝国)による併合が「長い抑圧と屈辱の歴史」であったという反日教育の源泉ともなった。 前近代韓国の恨と異なり強力な怒りと結びつく点は、1994年には「火病」の原因の一つと見なされたこともある。 宮脇淳子は、「朝鮮半島特有の思考様式。歴代シナ王朝への服従や日本による統治、あるいは李氏朝鮮時代の両班支配など、どうにもならない抑圧と屈辱の歴史の中で、自ら不幸を嘆き、自分以外の何かを恨み、それに対する抵抗心をバネにして生きていかざるを得なかった歴史から生まれたと考えられる」と定義している。
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