独立後「現代北朝鮮の恨」
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1972年に北朝鮮で金日成が日本への抵抗時代に創作したと主張する文学を原作にした映画『花を売る乙女』が上映された。この金日成の文学思想を代表する作品からは、ナショナリズムや「恨」を個人崇拝の道具として利用する様子を垣間みることができる。この映画は、家族の悲劇的な運命から、「恨」の恨みを晴らすために、朝鮮人を導くのに最もふさわしい存在は誰なのか、という心理的含意へと導いていく。権力の頂点に立った金日成は、一連のプロパガンダを通じて、白衣民族の唯一無二のスポークスマンとして自らを全能の民族神へと変身させ、白衣民族の血統の純粋性を強調することにより、その血統の純粋性を破壊者から守る守護者という正統性を強調している。ナショナリズムのなかに神話が埋め込まれ、退屈な支配者の空疎な説教だった主体思想は、外的抑圧者に対して「恨」の恨みを晴らすというテーマを強調することにより、特別な生命が吹き込まれた。 金明哲は、朝鮮の伝統とは、一言でいえば「恨からいかに解放されるか」という命題であると指摘する。「北朝鮮の指導者は、『恨』を討つ最高指導者でなければならず、したがって、金日成と金正日が『恨』との聖戦の最高指導者であることは必然であり、金日成と金正日であるならば、朝鮮人は『恨』の恨みを清算することができる」という朝鮮人の社会心理を理解しなければ、金日成と金正日の嘘が北朝鮮で受け入れられている現実を理解することは難しい。 単一民族という民族の血統の純粋性を誇る一方、他国に虐げられ続けてきたという歴然たる事実が国民精神の奥底に潜み、果てしない「恨」を生み、朝鮮人の集団的性格となる。金日成と金正日は、このような国民の「恨」を利用することで個人崇拝を推進した。白頭山信仰や主体思想の背景には排外主義的な人種差別がみられる。金正恩は、金日成のヘアスタイル、容貌、体型をわざと真似るような子供じみた純朴さを強調することにより、自らが最も純粋な血統の朝鮮人であり、それゆえ北朝鮮人を率いて「恨」の恨みを晴らすのに最もふさわしい存在であるとアピールした。
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