独立後の庁舎
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1948年8月15日、大韓民国政府の樹立にともない、旧総督府の庁舎は政府庁舎として利用され、中央庁と呼ばれた。大韓民国の成立宣言はここでおこなわれている。 1950年9月、朝鮮戦争当時北朝鮮軍による放火で内部が全焼したが、1961年から復旧工事に着手して1962年11月22日に竣工、国務総理の執務室(旧総督室)とその他行政機関が入居するなど政府庁舎の機能を回復した。1972年以前には歴代の韓国大統領の就任式もここで行われた。 その後、韓国内でも旧植民地の遺構として撤去を求める意見と、歴史を忘れないため保存すべきという意見があり議論がおこなわれた。1982年3月、国立中央博物館を中央庁へ移転する計画が発表され、1983年5月19日に開かれた国務会議を限りで庁舎の時代が終了した。1986年8月から博物館として利用されることになったが、それでも韓国国民にとって、屈辱の歴史の象徴であることには変わりはなく、保存か解体かの論議がしばしば再燃した。最終的には、かつての王宮をふさぐかたちで建てられていることから、反対意見を押し切り、王宮前からの撤去が決まった。 撤去の方法として移築も検討されたが莫大な費用がかかるため、1995年8月15日(光復節)に解体記念式典を実施し、尖塔部分をクレーンで吊り上げて撤去。その後建物の取り壊しに着手し、翌1996年末までに解体を終えた。跡地には庁舎建設によって取り壊された王宮の一部が復元され、現在は同宮の正面入口となっている。 尖塔部分はその後、京畿道天安市郊外の「独立記念館(朝鮮語版)」に移され、屋外展示されている。
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