保存か解体か
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 08:08 UTC 版)
「南三陸町防災対策庁舎」の記事における「保存か解体か」の解説
その後の被災庁舎は震災のモニュメントとして震災遺構の役割を果たし、庁舎近くの被災建物が次々と撤去される中、本庁舎は撤去されなかった。保存を求める強い声もあり、当初は保存する予定だったが、2013年9月に町長は「残すとなると、庁舎の存在が復興事業の支障になる」「遺構の保存は、小さな町には荷の重すぎる問題だった」と述べ、「この災害を忘れないためにも庁舎をモニュメントとして残したい」という保存する意向を撤廃。被災庁舎の解体が決まり、2013年度中に解体される予定であった。同年11月2日には旧庁舎前で慰霊祭が行われた。 町の解体方針の一方で、宮城県と復興庁は遺構保存に前向きな方針で遺構保存の支援を示したが、佐藤町長は慰霊祭後の記者会見で「町の決定は変わらない」と述べていた。しかし、国が震災遺構の保存に関する支援策を表明したこと等から、村井宮城県知事は有識者会議の設置を被災15市町長に提案し、南三陸町の佐藤町長を含む全員が了承し、2013年12月に開催された第1回宮城県震災遺構有識者会議で、「震災遺構の対象となる施設」となる県内14施設の1つとなった。 この有識者会議は、2015年3月までに結論を出す予定になっていた。しかし、南三陸町が県に委託した防災対策庁舎を含む公立の建物の解体期限が2014年3月となっていることから、県は1月に町側に事務委託の対象から防災対策庁舎を外すこと持ちかけ、さらに防災対策庁舎の取り扱いについて「有識者会議での意見の取りまとめを終えた時点で改めて協議する」と加えた。町側も2014年1月に県の提案に同意した。この事により、有識者会議終了(2015年3月)までは解体されないことになっていた。 2015年になってから、宮城県は2031年まで庁舎の県有化を検討し始めたことが明らかになっている。具体的には、2015年1月に有識者会議の報告書が宮城県知事に提出され、その中で検討対象とされた防災対策庁舎については、「県内の震災遺構候補の中でも特段に高い価値がある」と評価され、併せて「拙速に結論を出すのではなく、時間をかけて考えることも検討すべき」との意見が特に付け加えられた。この有識者会議の報告を受け、2015年1月28日に村井宮城県知事が南三陸町を訪れ佐藤町長と南三陸町役場で面談し県からの提案を伝えた。 宮城県から提案のあった事項に関して、「町としてどう対応するのが望ましいと考えるか。」とのパブリックコメントを、町内に住所を有する者及び町内に事務所又は事業所を有する者を対象に2015年4月14日まで受け付けた。なお、町長は知事とともに遺族との意見交換会を、南三陸町役場で4月9日に開く事となっていた。6月30日、南三陸町民のパブリックコメントの結果(保存賛成6割)及び町議会での請願(保存)の全会一致での採択もあり、南三陸町長は県有化を受け入れることを表明した。このことにより、防災対策庁舎は2031年まで宮城県が管理(保存)する事となった。 2020年10月12日、南三陸町防災対策庁舎周辺がエリアに加わった南三陸町震災復興祈念公園が全面開園した。
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