保字金の鋳造量
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/28 06:46 UTC 版)
『旧貨幣表』によれば、小判および一分判の合計で8,120,450両である。 一分判は当初総鋳造量の三割とされたが、一分銀の鋳造開始後は鋳造量が衰退した。 また『金銀考』によると、天保の改革による天保金銀一時鋳造停止時の天保14年8月17日(1843年9月10日)の段階で、小判5,576,100両、一分判839,900両(3,359,600枚)であったという。 『泉氏雑記』によれば天保8年(1837年)より天保12年(1841年)までの鋳造高3,418,000両による出目(改鋳利益)は340,600両であった。 また金座における鋳造手数料である分一金(ぶいちきん)は鋳造高1000両につき、手代10両、金座人10両2分、吹所棟梁4両3分であった。
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