火車 (妖怪)
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火車/化車(かしゃ)は、葬儀・葬列にくわわる亡骸を奪うとするとされる日本の妖怪。
その標的は、悪行を積み重ねた末に死んだ者だとする解説もあるが[2][3]、本来の仏教の火車(別項火の車を参照)は確かに悪人を地獄に送るための乗物ではあるものの、妖怪譚における火車はその宗教色が薄れており、奪おうとする遺体は必ずしも悪人のそれではない、と指摘される[4]。
すなわち近世初期・江戸初・中期頃の説話や絵画ではまだ、火車は鬼神の乗物であったり、雷神の鬼姿だったりしたが、火車と死体をかっさらう猫又伝承との習合が起こり( § 猫又参照)、鳥山石燕(18世紀)がその影響を受けて絵画でも猫姿の火車を描くようになったと論説される( § 図像学参照)。
概要
葬式や墓場から死体を奪う妖怪とされ、伝承地は特定されておらず、全国に事例がある[2]。
正体は猫の妖怪とされることが典型的で[5]、年老いた猫がこの妖怪に変化するとも言われ、猫又が正体だともいう[2][6]。また、あらわれるときに暗雲や雷鳴・雷雨をともなうといわれる[7]。
「猫檀家」も火車を題材とした昔話で、貧乏寺の猫が和尚に報いて手柄を上げさせるため、火車の悪役を買って出て一芝居打つ報恩譚である[8][9]。播磨国(現・兵庫県)でも山崎町(現・宍粟市)牧谷の「火車婆」に類話がある[3]。
また、棺の死体が火車に奪われないようにするための様々な対策も、各地の迷信に存在する( § 防除法参照)。
各地の伝承
宮崎県の昔ながらの葬儀の風習(かつて丸棺に坐葬するのが主流の頃)では、二次的な通夜を葬儀の後にも2日もうけ(よってつごう4日)、この「ツヤ」の期間、遺体に誰かが四六時中付き添い、夜も「夜伽(ヨトギ)」などと称して、近親者が添い寝する風習があった。これは、絶えず見張りを立てていないと、火車がやってきて遺骸を盗みに来るだから、といわれた(五ケ瀬町・西都市三宅の風習)[10]。そのため、猫は忌避されており、通夜のあいだは籠に閉じ込めて室内には入れなかった[注 1][10]。
猫に死体の上を越えさせると化物(化け猫?)になるとも[注 2]、よくないことが起こるともいわれ[注 3]、また猫が死体を跳び越すと死人が立つか[注 4]、死体が生きかえるなど[注 5]等と、宮崎県に伝わるが[10]、ほかにも群馬県でも魔物(カシャ)が死者を飛び越えると死者が復活すると言われ[注 6]、いずれの地域でも猫が死者に近寄ることを忌み嫌う[11]。
防除法
火車から亡骸を守る方法として、山梨県西八代郡上九一色村(現・南都留郡、富士河口湖町)で火車が住むといわれる付近の寺では、葬式を2回に分けて行い、最初の葬式には棺桶に石を詰めておき、火車に亡骸を奪われるのを防ぐこともあったという[12]。愛媛県八幡浜市では、棺の上に髪剃を置くと火車に亡骸を奪われずに済むという[13]。宮崎県東臼杵郡西郷村(現・美郷町)では、出棺の前に「バクには食わせん」または「火車には食わせん」と2回唱えるという[14]。岡山県阿哲郡熊谷村(現・新見市)では、妙八(和楽器)を叩くと火車を避けられるという[15]。群馬県吾妻郡嬬恋村では刃物をおいて、死体が火車に憑かれて歩き出すのを防ぐと言い、勢多郡粕川村では、死体の盗難をふせぐという[11]。
古典に登場する火車

猫又
江戸初期・中期においては、火車は雷神のような描写であったが(後述 § 越後上田の僧が守るなど)[16]、鳥山石燕『画図百鬼夜行』(1776年)あたりから猫型に描かれるようになったという[17](詳細は § 図像学参照)。これは、猫又が死骸を盗もうとするという伝承が火車の説話と習合した影響によるという説が立てられている[18]。
辻堂兆風子作の『多満寸太礼』(1704年])に「火車説ならびに猫取死骸事」の段があり、上野国の禅寺の宗興寺の住職が周厳だった頃、寺の猫たちが村の名主の遺体を盗もうと企んでいるのを周厳が聞いており、じつは代々の名主の亡骸を黒雲に乗じて奪っていたのが猫又たちだった。そ知らぬふりで戻った猫を住職は叱責して散らし、葬列の当日も呪文を唱えて猫たちを諭したので何事も起こらなかった[19]。
奇異雑談集・漢和希夷
越後の僧が守る
『漢和希夷』(近世初期成立)に天正2/1574年の故事としてみえるが[20][21]、『奇異雑談集』(1687年刊、および古写本[注 7])「越後上田の庄にて、葬りの時、雲雷きたりて死人をとる事」の段(写本下の一)にも記載がある。この説話によれば、越後国上田で行なわれた葬儀で、葬送の列が火車に襲われ、亡骸が奪われそうになったが「雲東庵」の僧が法力を発揮し、気絶しながらもしがみついて遺体を守った。ここでの火車は激しい雷雨とともに現れたという[21]。
挿絵では雷神のように、トラの皮の褌を穿き、雷を起こす太鼓を持った姿で描かれている(⇒右図参照)[22]。
この説話は、むしろ僧侶の功徳をたたえるのが焦点になっているが、狙われた死者の善悪がはっきりしない点で、倫理(仏教の罪人・地獄観)をはなれて「妖怪」として死骸を狙う話が形成されつつある、と指摘される[20]。
- (北越雪譜の異本)

上の「雲東庵」とは雲洞庵のことであり、その和尚が火車を退けた説話は、のちの『北越雪譜』二編巻三(天保12/1841年)「北高和尚」にも見つかるが[24][20]、その立役者は十三世の北高全祝ということになっており[注 8]、猫も二尾の猫になっている[24][20]。内容は、天正時代、越後国の雲洞庵(現・新潟県南魚沼市雲洞に所在)に近い魚沼郡三郎丸村の者が亡くなり、何日か待っても吹雪がおさまらないので棺送りを強行した。すると道半ばで、忽然と突風がおこり暗雲がたちこめ暗くなり、火の玉が飛来して棺にかぶさった。火の中には二又の尾を持つ巨大猫がおり、棺を奪おうとした。この妖怪は雲洞庵の和尚・北高の呪文と鉄如意の一撃で撃退され、化け物の頭から返り血が降りかかった袈裟は、「火車落(かしゃおとし)の袈裟」とよばれ、その香染の麻織は後世に伝わり[27]、同寺に現存する[20][28]。
箱根の地蔵堂の鬼神が乗る火車
ちなみに同じ文献でも、『奇異雑談集』巻四の三「筥根山火金の地蔵にて火車を見る事」(『漢和希夷』第二話)では[29]、火車は乗物のほうである。天文6/1537年、駿河の地下人左衛門という男が伊豆の火金の地蔵堂(日金山東光寺)に参詣に行くと、隣に住む屋形衆の朝日名孫八郎の妻も同じ時に詣でていた。やせ衰えて青白く、素通りしたのを不審と思ったが、黒雲が沸き上がり、鬼神がやってきてその女性を火車に乗せていったという話[30][31]。
新著聞集
音誉上人が乗る
『新著聞集』(1749年刊)第五 崇行篇より「音誉上人自ら火車に乗る」。文明11年7月2日、増上寺の音誉上人が火車に迎えられた。この火車は地獄の使者ではなく極楽浄土からの使者であり、当人が来世を信じるかどうかにより、火車の姿は違ったものに見えるとされている[32][6]。
下半身が爛れ腐る
同 第十 奇怪篇より「火車の来るを見て腰脚爛れ壊る」。 武州の騎西の近くの妙願寺村。あるときに、酒屋の安兵衛という男が急に道へ駆け出し、「火車が来る」で叫んで倒れた。家族が駆けつけたとき、彼はすでに正気を失って口をきくこともできず、寝込んでしまい、10日ほど後に下半身が腐って死んでしまったという[33]。
火車の手を斬る
同 第十 奇怪篇より「葬所に雲中の鬼の手を斬とる」。 松平五左衛門という武士が従兄弟の葬式に参列していると、雷鳴が轟き、空を覆う黒雲の中から火車が熊のような腕を突き出して亡骸を奪おうとする。刀で切り落としたところ、その腕は恐ろしい3本の爪を持ち、銀の針のような毛に覆われていたという[6][33]。
けち老婆を火車がさらう
同 第十四 殃禍篇より「慳貪老婆火車つかみ去る」。肥前藩主・大村因幡守たちが備前の浦辺を通っていると、彼方から黒雲が現れ「あら悲しや」と悲鳴が響き、雲から人の足が突き出た。因幡守の家来たちが引きおろすと、それは老婆の死体だった。付近の人々に事情を尋ねたところ、この老婆はひどい

茅窓漫録
本書では火車は日本とともに中国にも多くあるもので、魍魎という獣の仕業とされており、挿絵では「魍魎」と書いて「クハシヤ」と読みが書かれている(⇒右図参照)[35][6]。
図像学

上述のとおり、『奇異雑談集』(1687年刊)の火車は雷神のごとく描かれているが、長耳と嘴が誇張される特徴の独特な容貌になっている。佐脇嵩之「百怪図巻」(1737年)の「火車」(右図参照)もこれに近い絵である[16]。一説によれば、鳥山石燕の『画図百鬼夜行』(1776年)は佐脇または同系の絵巻を手本にしながら、猫耳や体毛を追加し、猫姿の火車にアレンジしたのではないかと思われ[17]、理由としては、死骸を盗すむ猫又の伝承との習合[注 9]起きたためだと堤邦彦が論じている[18][注 10]。
火車に類するもの
火車と同種のもの、または火車の別名と考えられているものに、以下のものがある[2]。
類種とされるものに[28]、岩手県遠野のキャシャがあるが、女性の姿である。上閉伊郡綾織村(現・遠野市)から宮守村に続く峠の傍らの笠通山(かさのかようやま、869.2m)に、前帯に巾着を着けた女の姿をしたものが住んでおり、葬式の棺桶から死体を奪い、墓場から死体を掘りおこして食べてしまうといわれた[36][37]。長野県南御牧村(現・佐久市)でもキャシャといい、やはり葬列から死体を奪うとされた[38]。
山形県では昔、ある裕福な男が死んだときにカシャ猫(火車)が現れて亡骸を奪おうとしたが、清源寺の和尚により追い払われたと伝えられる。そのとき残された尻尾とされるものが魔除けとして長谷観音堂に奉納されており、毎年正月に公開される[39]。この話はまんが日本昔ばなしで「渡り廊下の寄付」の元とされ妖怪火車として登場している。
群馬県甘楽郡秋畑村(現・甘楽町)では人の死体を食べる怪物をテンマルといい、これを防ぐために埋葬した上に目籠を被せたという[40]。
愛知県の日間賀島でも火車をマドウクシャといって、百歳を経た猫が妖怪と化すものだという[41]。
鹿児島県出水地方ではキモトリといって、葬式の後に墓場に現れたという[6]。
考察
日本古来では猫は魔性の持ち主とされ、「猫を死人に近づけてはならない」「棺桶の上を猫が飛び越えると、棺桶の中の亡骸が起き上がる」といった伝承がある。また中世日本の説話物語集『宇治拾遺物語』では、獄卒(地獄で亡者を責める悪鬼)が燃え盛る火の車を引き、罪人の亡骸、もしくは生きている罪人を奪い去ることが語られている。火車の伝承は、これらのような猫と死人に関する伝承、罪人を奪う火の車の伝承が組み合わさった結果、生まれたものとされる[2]。
河童が人間を溺れさせて尻を取る(尻から内臓を食べる)という伝承は、この火車からの影響によって生じたものとする説もある[42]。また、中国には「魍魎」という妖怪の伝承があるが、これは死体の肝を好んで食べるといわれることから、日本では死体を奪う火車と混同されたと見られており[2]、前述の『茅窓漫録』で「魍魎」を「クハシヤ」と読んでいることに加えて、根岸鎮衛の随筆『耳袋』巻之四「鬼僕の事」では、死体を奪う妖怪が「魍魎といへる者なり」と名乗る場面がある[43]。
転用
経済状態の切迫を意味する「火の車」と言う言葉は、この火車(火の車)によって亡者が責め苦をうけることに由来している[44]。
播磨国一帯では性格の悪い老婆を、化け猫のような老婆との意味合いで「火車婆」と呼ぶと言う[3]。
遊廓で遊女たちを監督する女性である遣り手(やりて)のことを花車(かしゃ)と呼ぶのも火車から派生したものであり、遣り手は万事を切り回す女であり、遣り手が牛車を動かす人を意味する言葉でもあることが由来とされている[6]。
脚注
注釈
- ^ 椎葉村・宮崎市黒迫など5箇所。
- ^ 宮崎市原町・宮崎市大塚町
- ^ 西都市大字妻
- ^ 北諸県郡中郷村梅北
- ^ 旧・宮崎郡田野町
- ^ 旧・群馬郡榛名町、旧・山田郡大間々町
- ^ 古写本もあり、やはり中世末~江戸初期成立。
- ^ 上杉謙信に敵に塩を送るを進言した僧[24]。ただし北高全祝は武田信玄の招きで永禄10年/1567年に信濃に移っているので天正時代に越後でおきた故事に結び付けるのは困難だと指摘される[20]。
- ^ 「火車ならびに猫又」の説話例は、既に § 猫又で挙げた。
- ^ また石燕の『画図百鬼夜行』陽の巻において、「姥が火」と「火車」が連続して掲載されるのは、この二つの妖怪に関連性を見たからだと指摘される[17]。この姥が火は、油を盗んだことにまつわる妖怪であるが、日本の怪談において化け猫が行燈の油を舐めると言われることは周知の事柄である。
出典
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参照文献
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- 堤邦彦『近世仏教説話の研究 : 唱導と文芸』慶應義塾大学、1995年11月1日。doi:10.11501/3109113 。
- 堤邦彦『近世説話と禅僧』和泉書院、1999年。 ISBN 9784870889613 。
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