江戸築城とは? わかりやすく解説

江戸築城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 08:12 UTC 版)

太田道灌」の記事における「江戸築城」の解説

更に古河公方側の有力武将である房総千葉氏抑えるため、両勢力境界である当時利根川下流域に城を築く必要があった。道灌は、江戸氏領地であった武蔵国豊嶋郡江戸城築城した。 江戸時代地誌新編武蔵風土記稿』では「道灌日記」という記録からの引用として、道灌霊夢告げによって江戸の地に城を築いたとある。また、関八州古戦録』には品川沖を航行していた道灌の舟に九城(このしろ)という踊り入り、これを吉兆喜び江戸に城を築くことを思い立ったという話になっている。これらの霊異談は弱体化していた江戸氏婉曲に退去させるための口実という説がある。江戸城完成して品川から居館を遷したのは、長禄元年4月8日1457年5月1日であったと言い伝えられている。 江戸城守護として日枝神社をはじめ、築土神社平河天満宮など今に残る多く神社江戸城周辺勧請造営した。後に徳川将軍家拡張した江戸城転用し皇居には現在も「道灌濠」の名が残る。江戸城城主となった道灌は、ここで兵士鍛錬勤しみ、城内弓場設けて士卒日々稽古をさせて、怠ける者からは罰金取りそれを兵たちへの茶代充てたという。 諸書求めて兵学学び殊に易経』に通じて当時軍配者軍師)の必須の教養であった易学修め、また武経七書にも通じていた。『太田家譜』によると室町幕府管領細川勝元兵書贈ったとされる道灌兵法は「足軽軍法」と呼ばれた。これは、それまで騎馬武者による一騎討ち排して当時登場し始めていた足軽活用した新時代集団戦術論じられることが多いが、実のところ太田家記』に名称だけが書かれているだけで実態不明である。 飛鳥井雅親万里集九などと交流して歌道にも精通して様々な和歌残されている。有名な山吹の里」の伝説ここから生まれた文明元年1469年)から文明6年1474年)頃に歌人心敬品川の館に招いて連歌会を催し、これは「品川千句」と呼ばれる歌人でもあった父・道真も「河越千句」を行っている)。また、文明6年には心敬判者江戸城歌合行い、「武州江戸二十四番歌合」が残っている。 長禄2年1458年)、8代室町将軍足利義政異母兄足利政知関東下向したが(堀越公方)、古河公方との戦い膠着していた。『太田家記』によると寛正6年1465年)に道灌上洛して将軍義政関東静謐の策を言上したとある。この上洛については他の史料所見がなく疑問とされているが、近年の研究では寛正3年1462年)に上杉持朝堀越公方政知と対立して、政知の側近渋川義鏡讒言によって扇谷上杉家対し謀叛疑いかけられ三浦時高大森氏頼・実頼父子千葉実胤扇谷家重臣隠遁する深刻な事態陥ったため、両者の対立収拾数年かかっていた事が明らかとなっている。道灌が持朝に代わって幕府に対して弁明あるいは関係修復するために上洛した可能性指摘されている。 文正元年1466年)、関東管領上杉房顕(憲忠の弟)が死去。すでに上杉方は武蔵五十子(いかっこ、現・埼玉県本庄市)に城を造り古河公方側と対峙していた。この五十子陣体制のもと、18年にわたり両軍対峙することになる。山内家越後上杉家から養子入った上杉顕定継いだ。 翌応仁元年1467年)に京で応仁の乱勃発同年、父・道真長年仕えた扇谷持朝が死去、跡を孫で16歳の上政真が継いだ前年家督継承)。 文明3年1471年)、古河公方側が攻勢出て武蔵国突破して箱根山越え長駆して堀越公方・政知のいる伊豆国進撃せんと図った上杉方は古河公方軍を撃退して古河城逆襲して陥落させたが、足利成氏千葉孝胤頼って落ち延びた。一旦は上杉方が優勢となったが、成氏方は反撃出て文明4年1472年)に古河城奪回し文明5年1473年)には五十子の陣強襲扇谷政真が討死した。政真には子がおらず、道灌重臣協議して真の叔父にあたる上杉定正扇谷家当主迎えたこの頃出家して、単に沙彌沙彌道灌、または道灌称した備中入道道灌尊称された)。「道灌」を名乗り始めた正確な時期不明だが、「道灌名義初出文明6年6月歌合記事である。

※この「江戸築城」の解説は、「太田道灌」の解説の一部です。
「江戸築城」を含む「太田道灌」の記事については、「太田道灌」の概要を参照ください。

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