関連の寺社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 06:41 UTC 版)
「江古田・沼袋原の戦い」の記事における「関連の寺社」の解説
江古田原付近には、合戦以前に道灌が建立した、または戦勝祈願を行ったとされる寺社が多数存在している。推定・戦場跡を取り囲むようしてにあることから、史家の葛城明彦は「江古田原は偶然戦場となったわけではなかった」「道灌にとって兵を伏せておきやすい、前線基地的な意味合いのある場所だった」と推測している。 1. 自性院(新宿区西落合1-11-23) 「弘法大師(空海)が日光に参詣する途中で観音を供養したのが始まり」と伝えられる寺院で、「招き猫伝説発祥伝説地」(※「招き猫伝説」の詳細については後述)の一つ。関東で唯一、私年号「福徳元年」(1490年)銘の板碑が残るが、これは当時の中央政府の衰退や世相の混乱、民衆の現世利益の追求を物語るものと考えられている。 2. 須賀稲荷神社(中野区江原町1-44 ※旧地=江原町3-17) 道灌による江古田原合戦・戦勝祈願の伝説が残る神社。 3. 上高田氷川神社(中野区上高田4-42-5) 江戸築城直前の享徳2年(1453年)の創建。長禄年間(1457~1460年間)、道灌はしばしばここに詣で、松を植栽したと言われている。 4. 北野神社(中野区松が丘2-27-1) 道灌による江古田原合戦・戦勝祈願の伝説が残る神社。以前は近くの「葛ヶ谷御霊神社」と同様に「おびしゃ祭り」が行われていた。 5. 江古田氷川神社(中野区江古田3-13-6) 江戸築城の3年後にあたる寛正元年(1460年)創建の神社。道灌による江古田原合戦・戦勝祈願の伝説が残る。 6. 沼袋氷川神社(中野区沼袋1-31-4) 江古田原合戦の際、道灌の本陣になったと伝えられる場所。当日、道灌は社殿前で軍神祭を行い、杉の木を植樹したとされる。その木は「道灌杉」と呼ばれ、高さ30メートルにまで成長していたが、1942-44年(昭和17-19年)頃に枯れ、今は根の一部のみが残る。 7. 北野神社(中野区新井4-14-3) 遅くても16世紀には存在した神社。4 の北野神社および 8 の豊玉氷川神社末社の北野神社と同時に奉られたとも考えられる。 8. 豊玉氷川神社(練馬区豊玉南2-15-5) 末社の北野神社は、道灌が中荒井の陣屋内に奉ったものとされる。豊島方の練馬城までは約1.5キロメートル、「豊島氏の下屋敷」との説もある「殿山」までは約400メートルの距離にある。道灌による豊島方との合戦の戦勝祈願伝説が残る。 9. 正覚院(練馬区豊玉南2-15-2) 豊玉氷川神社内の北野神社を守るため、道灌が別当寺として創建したと伝えられる寺院。 10. 東中野氷川神社(中野区東中野1-11-1) 道灌が豊島氏との合戦の際に戦勝を祈願して杉を植え、勝利後には社殿を造り直したと伝えられる神社。 11. 本郷氷川神社(中野区本町4-10-3) 道灌が文明元年(1469年)に、江戸城鎮護のため武蔵一の宮の氷川神社(現・埼玉県さいたま市に所在)の分霊を奉ったとされるもの。豊島氏との合戦の際には戦勝祈願を行い、勝利後には社殿を造り直した、との伝説も残る。 12. 神明氷川神社(中野区弥生町4-27-30) 道灌が文明元年(1469年)に、江戸城鎮護のため武蔵一の宮の氷川神社(現・埼玉県さいたま市に所在)の分霊を奉ったとされるもの。 このほか、「葛ヶ谷御霊神社」(新宿区西落合2-17-17)や「江古寺」(中野区江古田3丁目・「江古田の森」公園付近・現存せず)には、「江古田原合戦の戦火に遭い焼失した」との伝説が残されている。
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