招き猫伝説
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招き猫発祥の地とする説がある。井伊直孝が猫により門内に招き入れられ、雷雨を避け、和尚の法談を聞くことができたことを大いに喜び、後に井伊家御菩提所としたという。 豪徳寺では「招福猫児(まねぎねこ)」と称し、招猫観音(招福観世音菩薩、招福猫児はその眷属)を祀る「招猫殿」を置く。招猫殿の横には、願が成就したお礼として、数多くの招福猫児が奉納されている。ちなみに、招福猫児は右手を上げており、小判などを持たない素朴な白い招き猫である。
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招き猫伝説
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「江古田・沼袋原の戦い」の記事における「招き猫伝説」の解説
江古田原合戦の推定開戦地から東500メートルの地には自性院(西落合1の11の23に所在)という寺院があるが、ここには「緒戦に敗れて道に迷った道灌を一匹の黒猫がこの寺院に導き、それによって道灌は敵兵から逃れることが出来た。堂内で一夜を過ごした道灌はその後兵を率いて勢いを取り戻し、大勝利を収めることができたことから、合戦後はこの黒猫を江戸城に連れ帰って大変可愛がり、死後は丁重に葬った。その後奉納したのが、今も地蔵堂内に残る『猫地蔵』である」との伝説が残されている。「招き猫」伝説は世田谷豪徳寺のものが最も有名で、一般には招き猫人形もそこで誕生したとされるが、上記の伝説により自性院で誕生した、とする説もある。同院の「猫地蔵堂」は毎年2月3日の節分の日のみ開帳されている。
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