水際対策
みずぎわ‐たいさく〔みづぎは‐〕【水際対策】
読み方:みずぎわたいさく
⇒水際作戦
水際作戦
(水際対策 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/30 23:07 UTC 版)
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水際作戦(みずぎわさくせん)とは、上陸してくる敵を水際で撃滅する作戦である。転じて、自国外から自国内(自地域内)に入れてはならない人や物が入り込むのをその入口で防ぐ政策・戦略・施設の意味合いでも用いられる。
軍事における水際作戦
海岸に砲列を敷き、地雷、機雷、鉄条網などを敷設して水際陣地を構築、敵の上陸用舟艇には砲撃を加え、敵兵が上陸してきたら銃撃と歩兵の突撃で敵を撃滅するというもの。
特に本用語の源流とも言うべき軍事分野では「内陸持久」、「持久戦」の対義語として扱われた。日本やイギリスといった、国土が狭隘で多くの産業が高度に密集発展した近代国家での内陸持久には、特に不利な点が多い。これは多くの一般市民の犠牲、国土の荒廃といったマイナス面が大きいためである。内陸持久には、自国である事による地の利を生かした用兵、ゲリラ戦術など効果的な抵抗が可能で加えて兵力の水際配備による遊兵の発生を減らす事ができるといった利点はあるが、結局それら作戦の長短を比較し伝統的に水際作戦のドクトリンが採用されてきた。
ただし、太平洋戦争で人類史上最大という極めて強大な火力・兵站力を持つアメリカ軍を相手に戦った日本軍においては、水際配備した兵力が圧倒的な規模の爆撃・艦砲射撃により、作戦初期段階で失われる事態が多発し、上陸前に殲滅する「水際撃滅方式」が打ち砕かれた[1][2]。このため、戦争最末期の硫黄島の戦い、沖縄戦では水際作戦の伝統を放棄して内陸持久に転換し、結果、効果的な抵抗でアメリカ軍に多くの打撃を与え、長く足止めすることに成功した。[3]
このため警察予備隊草創期からソビエト連邦軍を主要仮想敵とした陸上自衛隊は、「年度防衛及び警備計画」によって北海道に侵攻したソ連極東軍を石狩平野や音威子府峠で迎え撃ち、ソ連軍の侵攻を出来るだけ引き付けた上で、アメリカ軍の来援まで耐え抜くという内陸持久型の戦法をとっていた。
しかし、ソ連軍の狙いは津軽海峡と宗谷海峡の安全航行であるとするとの想定から、1985年(昭和60年)9月に策定された中期防衛力整備計画において、陸上自衛隊は従来の方針を転換して、洋上水際撃破型に戦法を転換した。装備も長射程の地対艦誘導弾や多連装ロケットシステムや地対空自走砲、対戦車ヘリコプターの整備が重視され、これらの高額な装備導入に多額の予算が投じられた。[4]
ソ連軍の北海道侵攻に際して、航空自衛隊は千歳基地の戦闘機部隊を全て本州の三沢基地、百里基地、小松基地に避難させる事になっていた。海上自衛隊は四個護衛隊群の全てをアメリカ海軍第7艦隊のエスコートに回し、北海道で孤軍奮闘の持久戦を強いられる陸自部隊への援軍として派兵されるアメリカ軍部隊の航行の安全を確保する事になっていた。
人の入国および物品の輸入における水際作戦
密輸品に対する税関での検査の強化や[5]、年々新種の発生、流行が確認される新型インフルエンザ、または突発的に発生し、各国で社会不安を起こすエボラ出血熱やSARSといった感染症対策、公衆衛生において、その国の公衆衛生担当官庁が病気が自国内で大流行してから、予防・治療を行うのではなく、港・空港での検疫の強化、感染者の隔離といった初期段階での迅速な対処、初動対応を重視する事を当該官庁もしくは報道関係で「水際作戦」と表現することがある[6]。
日本では、2009年新型インフルエンザの世界的流行で、世界から日本へH1N1亜型を持ち込まれるのを防止するため、厚生労働省が水際作戦を実行した。
学習における水際作戦
学校での日々の定期試験あるいは入学試験など試験全般において、一科目でも落第点・赤点があれば他の科目がどれほど高得点であろうと留年や不合格といった事態を招来する場合に、確実に高得点が得られる得意科目の学習時間を多少削ってでも落第点の危険性が拭えない苦手科目の学習に時間を当てることで最悪の事態を避ける目的で満遍無く学習時間(軍事であれば兵力)を費やす方策を学生(ただし近年はほとんど用いられない)の他、学校教諭や塾講師が水際作戦と表現することがある。
実はこれが用語の語源たる軍事の水際作戦の定義に最も近く、「苦手科目でそれほど難解な設問が出なかった」等の場合も学習時間のロス、軍事での「遊兵」と同じ無駄が生じる点も、また軍事と同様である。
脚注
- ^ “過去の教義を捨て、新戦術を編み出す~~硫黄島決戦と栗林中将から学ぶ・その3”. 日経クロステック(xTECH). 2023年1月22日閲覧。
- ^ 近藤忠助「太平洋戦争における日本陸軍の対上陸作戦思想:島嶼防御作戦時の水際撃滅思想を中心として」『軍事史学』第29巻第2号、錦正社、1993年9月、19-33頁、ISSN 03868877、 NAID 40000815128。
- ^ 詳細は上陸戦及び兵学の太平洋戦争項目を参照
- ^ “中期防衛力整備計画について”. 防衛省. 中期防衛力整備計画 昭和60年9月18日国防会議決定及び閣議決定. 2017年5月3日閲覧。
- ^ 安冨潔「銃器犯罪とその対策」『刑法雑誌』第36巻第3号、日本刑法学会、1997年、494-499頁、doi:10.34328/jcl.36.3_494。
- ^ 北村敬「国際伝染病侵入予防の水際作戦」『遺伝 : 生物の科学』第40巻第13号、裳華房、1986年12月、15-19頁、
ISSN 03870022、
NAID 40000130888。 (
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関連項目
水際対策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 22:53 UTC 版)
安倍首相は、緊急事態宣言が全国で解除された5月25日の記者会見で「感染再拡大の防止と両立する形で、どのように国際的な人の往来を部分的、段階的に再開できるかについて、対象国、対象者、手続を含め慎重に検討して、その上で政府として適切なタイミングで総合的に判断をしていく考えであります。もちろん、第一は国民の健康と命を守り抜いていく、これを最優先に考えていきたい」と述べた。 政府の専門家会議は、5月29日に出した提言の中で、ヨーロッパなどで感染した人たちが日本に帰国したことがきっかけで、3月の感染拡大が起きたことがウイルスの遺伝子解析で明らかになったと指摘し、今後海外との人の行き来を再開することで、日本国内で再び感染拡大が起きるおそれがあるため「今後の水際対策の手段の検討にあたって、政府部内において十分な議論をし、 各国の流行状況や国を越えた人々の往来の正常化を目指すための国際的な取組みの動向を見極めつつ、出口戦略としての開国並びに感染拡大の防止、入国者が発症した場合に対応する医療機関の負担、さらには、流行の拡大に伴う、再度の入国制限の考え方などを明らかにし、対策を実行する必要がある」とした上で 「国内で感染拡大を防ぐ新しい生活様式が定着するまでの当面の間は、 入国者を一定の数に限定するなどして徐々に緩和を目指すことが適当である」とした 。 6月2日、西浦は入国制限緩和のリスクについてシミュレーションした結果を公表し、感染が流行している国から1日当たり10人の感染者が入ってきた場合、検疫でのPCR検査やホテルなどでの2週間の待機要請を行ったとしても、完全には防げず一部は流入し、3か月後には98.7%の確率で緊急事態宣言などが必要となる大規模な流行が起きる一方で、入国を厳しく制限するなどして、1日当たりに入国する感染者を2人にした場合は3か月後に大規模な流行が起きる確率は58.1%、1日当たり1人にした場合は35.3%にまで抑えることができるとした。西浦は「制限の緩和については政府が判断をしているが、感染リスクをどこまで踏まえているのか、透明性をもって明確に語られていない状態だ」と指摘し、「検疫や入国制限は省庁の管轄がそれぞれ異なり、縦割りの状態にある。政府が一体となって、感染者が入国するリスクを分析し、制限を掛けたり緩和したりする仕組みを急いで作らなければならない」と述べた。同時に西浦による解説も公開された。 また、専門家会議に参加する和田耕治国際医療福祉大学医学部公衆衛生学教授との対談の中で「シミュレーションが示唆するのは、外務省「感染症危険情報」の「レベル3」相当になったら迅速に入国制限をかけないと危ないということ」だと述べた。 6月18日、政府の新型コロナウイルス感染症対策本部は、感染状況が落ち着いている国や地域のビジネス関係者らにかぎり、日本を訪問する前のPCR検査で陰性が確認されることなどを条件に入国を認めるなどとした方針を決定した。
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