東慶寺文書とは? わかりやすく解説

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東慶寺文書

主名称: 東慶寺文書
指定番号 180
枝番 00
指定年月日 2001.06.22(平成13.06.22)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 古文書
ト書
員数 773通、20
時代区分 南北朝明治
年代
検索年代
解説文:  東慶寺は、執権北条時宗夫人覚山尼開創した臨済宗尼寺である。近世初頭豊臣秀頼の娘天秀尼入寺し、徳川家康に「開山以来」の縁切寺法維持願って許されたと伝えられている。縁切寺えんきりでら】あるいは駈込寺【かけこみでら】と俗称されている。離縁請求権は『公事方御定書』で夫にしか与えられていなかったので、駈込離縁請求権持ち得なかった女性合法的な手段であった東慶寺のほかに、群馬県満徳寺縁切寺として知られている。
 本文書は、永徳三年一三八三)十二月廿日足利氏満寄進状初見とし、明治三年一八七〇)十二月廿九日附たよ内済離縁引取状【ないさいりえんひきとりじょう】を最後とする。そのうち江戸時代文書縁切り関係文書がほとんどで、元文三年一七三八三月廿七日附ゆつ寺法離縁状【じほうりえんじょう】(写真)を初見としている。明治世になっても縁切寺法存続許可願い出るものの、明治政府却下され明治四年に東慶寺駈込としての社会的機能終焉する。女性からの離婚請求は、明治六年五月十五日付太政官第一二号布告によって、裁判所訴えることになった
 本文書の内容は、寺史・寺法関係と縁切関係とに大別される寺史関係では、小田原後北条氏(氏綱・氏康・氏政・氏直)、豊臣秀吉による寺領安堵野場郷・前岡郷)、徳川家康による寄進に関する発給文書残されている。また寺法関係では、寺法の確立とその経緯について記した旧記抜書』『東慶寺寺例書』などがある。具体的な法の執行寺役人については、『東慶寺一件諸書物写』『松岡記録』に記述されている。
 縁切関係では、縁切手続き書式集である『御寺法』が残っている。塔頭一つである蔭凉軒本と寺役人の石井本とがある。この『御寺法』に記載され書式をみてみると、縁切関係文書呼出状出役達書、寺法書山下願、寺法離縁状内済離縁状などの一七種の各書式のあったことが知られる
 東慶寺における離縁には、寺法離縁内済離縁とがある。寺法離縁とは、入寺三年(二四か月)で強制的に夫方から離縁状差し出させるものである内済離縁とは、入寺せずに離縁成立させることである。離縁状内容は、いずれも離縁する旨と再婚許可する旨とからなっている。寺法離縁状は夫のほかに家主五人組等が連署加判し、名主奥書加え、「松ケ岡御所様御役所」宛になっている内済離縁状文言三行半に書く書式から、一般に「三くだり半」といわれるもので、夫から妻宛で、本紙は妻に渡し東慶寺ではその写し取り置いている。
 駈込み件数は、残っている文書によれば、約二六〇件で文化・文政年間以降継続的にみられるが、幕末嘉永年間から急増している。駈込み女性出身地多くは、江戸相模・武であるが、安房・上総などにも及んでいる。
 東慶寺文書は駈込み様子、寺法の取り扱い駈込み女性救済などを明らかにできる社会史法制史女性史稀有史料である。



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